大西佐七のザ・飛騨弁フォーラム

ぶくり(=ポックリ)

戻る

私:女性が履く高い下駄をポックリというが、飛騨方言では「ぶくり」という。当然ながら同根なのだが、アクセントがあべこべ。ポックリは頭高、「ぶくり」は平板。
君:ほほほ、アクセントが違うのに同根とは、随分と妥協したわね。
私:まあね。それなりの理屈も考えてある。両語ともに共通語源「ぼくり木履」から来ている。
君:なるほど、つまりは共通語ポックリは近世語・近代語あたりで、つまりは擬音語・擬態語で、飛騨方言「ぶくり」は母音交替というわけね。
私:その通り。アクセントが異なるのはポックリは実はオノマトペで厳密な意味では同根ではないから、というのが本邦初公開の僕なりの理屈。「ぼくり木履」がどの程度、古い言葉か、これが気になるところだが、実は文献は皆無に近いようだ。角川古語大辞典によれば、室町時代に主に上方で使われだしたとの事。
君:あら、そうだったのね。「くつ沓・靴」なら万葉集にあるのに不思議ね。それに「ぼく」は漢音、「もく」なら呉音で、「ぼくり」と言えば上古の感じがするわね。
私:感じでお話を作ってはいけない。「ぼくり」は室町だ。実は同じく儀式用の木の靴の意味で「もくげき木屐」が角川の漢和辞典にあるんだよ。絵まであった。なかなかエレガントな靴だ。そして、なにせ呉音、「木履」より古い言葉に違いない。残念ながら角川古語大辞典に「もくげき木屐」の記載は無い。つまりは日本文学には出てこない。
君:「ぼくり木履」の出典はあるのでしょ。
私:ああ、江戸文学が多いね。ポックリは明治中期の日本初の国語辞典「言海」に出てくる。木を刳りて(くりて)作れる履き下駄。
君:となると飛騨方言「ぶくり」は室町以降の言葉という事で明らかにポックリより古いのね。
私:その通り。お察しの良い方にはお書きするまでもなく、「ぶくり」は全国各地の方言になっている。音韻も様々で、地方名は割愛させていただくが、ボクリ、ボックリ、ボークリ、ボコ、ボッコ、ボッコン、ホクリ、ボクー、ボツコ、フグリ、等々。
君:ほほほ、最後の言葉はいただけないわね。
私:うん、その通り。男性のあの身体部分の事だからね。生地のない男をののしって「フグリ無し」という。浮世風呂。性同一障害の方々がタイ国で手術をなさる。その手術だが、有るものを無くすのは簡単。
君:ほほほ、そんな事より飛騨地方のわらべ歌の歌詞にあったでしょ。
私:ああ、「しょうがつぁええ(お正月はいいね)」。お正月はブクリも履けるし、そのブクリの歯のような四角い切り餅も食べられるのだから、という意味だ。飽食の現代、サトウの切り餅で僕達はどれだけの幸せを感ずる事が出来るのだろう。
君:あら、私は毎日、三度のご飯を感謝していただいているわよ。
私:僕もだ。それに何やかやでこうやって方言ネタを書き続けられる事も。
君:室町といえば、武士の時代、和製漢語の全盛期と言ってもいいわよね。「ぼく木」+「り履」はどなたがお考えになったのかしらね。
私:なんだ、そんな事もわからんのか。京都の靴職人さんに決まってるだろ。法隆寺は聖徳太子が建てたのではない。東大寺は聖武天皇が建てたのではない。皆、大工さん達が建てた。飛騨工が建てたんだ。
君:をこなり。漢語にあるわよ。「へいぐわい平慨」。
私:えっ、どういう事。
君:陳腐の意味よ。歌論・連歌論・俳論の用語。ありなままで趣向を凝らさないさま。飛騨工をいつも出すのはおやめなさい。
私:・・実は。
君:何?
私:孫の名前。平慨を避けてもう一文字足している。
君:ほほほ、そういう事ね。まさか、名付け親?
私:いや、流石にそれは無い。偶然。子供夫婦が三日三晩、考えたらしい。
君:そしてポックリと浮かんだお名前ね。ほほほ

ページ先頭に戻る