大西佐七のザ・飛騨弁フォーラム |
げばす(終章) |
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私:飛騨俚言動詞「げばす(失敗する)」自サ四については、振り返れば随分、沢山の事を書いてきた。例えば「げばす(2)」。語源は「かけはづす」だが、更にこれを支持する証拠をみつけた。 君:あなたって本当に変わり者ね。変な思い付きを書こうとなさらないでよ。 私:ははは、思いつきなんか書いて何になる。僕がこのサイトで記載してきた事は日葡辞書に「 Caqefazzuxi, ru, atta 」を発見した事と、角川古語大辞典全五巻に「かけはづす」を発見した事。この二点だけだ。それ以上でもそれ以下でもない。 君:・・つまりは、更に言葉を古語辞典に発見したという意味かしら。 私:その通りだ。「げばす」の成立に実はとても重要なもう一つの動詞が存在していた事に気づかされてしまった。ヒントは三省堂・古語類語辞典。 君:ああ、あれね。その後は三省堂・現代語から古語を引く辞典に名前を変え、内容が一新されたわ。ははあ、つまりは「失敗する・しくじる」の意味の古語をあたったのね。当然の成り行きね。 私:その通り。失敗を意味する古語は「あやまつ」「あやまる」「かぶる」「だりむくる」「とりはづす」「ぬかる」「はたく」「ふみかぶる」「もてそこなふ」「そこなふ」「しんしたり」「あやまち」「あやまり」「おこたり」「くゎ過」「くゎたい過怠」「くゎんたい緩怠」「けちがひ蹴違」「こころあやまち」「ことあやまり」「しか・しが疵瑕」「しちらい・しつらい失礼」「しつ失」「そこつ」「そさう」「つみ」「てあやまち」「とが・とがめ咎・科」「どぢ」「ふかく」「をちど・をつど」「おこたり」。 君:随分あるわね。なるほど「とりはづす」は密接に関係しているわね。強力な証拠だわ。 私:「かけはづす」は角川古語大辞典全五巻にしか記載が無いが、「とりはづす」は市販の古語辞典に記載がある。つまりは「かけはづす」自サ四は元々は「失敗する」という意味では無かったのに、元々が「失敗する」という意味の「とりはづす」自サ四につられて、中世から近世にかけて「失敗する」という意味になり、そして飛騨方言では「げばす」へと音韻変化したという事なのだろうね。 君:でも、現代語では「取り外し」は「着脱」の意味で使うわよ。 私:それについては言海(明治中期)及び大言海(昭和31年)の国語辞典のお出ましだ。両辞典とも「かけはづす」の記載は無い。つまり死語だ。その一方、「とりはづす」の記載はあり、着脱と過失の二つの意味が記載されている。私が大学入学時(昭和47年1972)の角川国語辞典には「取り外し(着脱)」名詞と「とりはずす(着脱する、失敗する(文語))」の記載がある。 君:つまりは(昭和47年では「とりはずす(失敗する(文語))」は死語だったという事なのね。 私:いかにも。 君:でも現代口語「捕り逃がす」として言葉は生きているわね。 私:いかにも。 君:「かけはづす」も飛騨方言「げばす」として現代も尚、言葉は生きているのだわ。 私:そこまで共感していただけるとは。「げばす」を追及して十年以上の月日が流れた。最後に一言、件(くだん)の三省堂・古語類語辞典に「けちがひ蹴違」が記載されているのは思わず笑ってしまったよ。 君:えっ、どういう事? 私:「かけはづす」が語源には違いないだろうが、実は「けはづす蹴外」自サ四という古語動詞がある。僕は随分、長く「けはづす蹴外」自サ四が語源ではないかと考えていた。活用は合うし、意味もピッタリだし。或る日、突然にテレビを見ていて、これだ、と叫んだんだ。 君:何のテレビ? 私:FIFAワールドカップ。何時の年だったか忘れた。「けはづす蹴外」自サ四は蹴鞠などでミスシュートする事、つまり失敗する事を意味する。 君:ほほほ、わかるわ。方言の神様に逢えたと思った瞬間ね。「けはづす蹴外」が「げばす」の語源だ、と心の中で叫んだのね。 私:うん。そして今日、笑ったのは別の意味だ。わかるよね。 君:ええ、勿論わかるわよ。活用が動詞の本質。四段に五段、上下に一・二段、カサナラ変、日本語はこれが全て。ところで「けちがふ蹴違」自ハ下二なのよね。下二段動詞が四段動詞の語源であるわけがないわ。民間語源の「下馬する」つまりはサ行変格活用(サ変)が「げばす」自サ四の語源では有り得ない事と同じ理屈よ。ほほほ 私:とりあえず本稿をもって「げばす」自サ五(自動詞サ行五段)の語源談義は区切りとしよう。待てよ、さすがに如何に飛騨方言口語とて未然形「げばそう(失敗しましょう)」は使わないね。つまり未然のオ列は存在しないので「げばす」自サ四だ。 君:石の上にも十数年に渡って語源を探し続けて実に「げばいた(おバカさんの)」あなたね。ほほほ |
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