大西佐七のザ・飛騨弁フォーラム

飛騨俚言形容詞「はんちくたい」の語源に関する一考察

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私:「はんちくたい」は共通語「くやしい」の意味だが、なにせ俚言、つまりは飛騨地方以外では話されない形容詞なので、特別な思いがある。
君:苦労して複数の古語辞典を隅から隅まで調べ、ついに語源を発見したのよね。「なからはんぢやくなり半半着也」だわね。更に付け足す事があるのかしら。
私:うん。この際はトコトンやっておこうと思って、今夜の千一夜物語も「はんちくたい」だ。「はんぢやく半着」を問題としたい。
君:この単語自身はどの古語辞典にも記載がないのよね。
私:その通り。無い。でも意味は明らかだよね。
君:ほほほ、それは日本人なら誰でもわかるわよ。執着心が半分あるという意味よね。
私:そう。その通り。ところで「執着」だが、「しゅうちゃく」とも発音するし、「しゅうじゃく」とも発音する。何故?
君:あらいやだ。簡単すぎて。前者は漢音で、後者は呉音よ。
私:その通りだ。だから「はんぢやく半着」も呉音である事がわかるが、簡単におさらいしておこう。呉音は推古朝(592-628)までに朝鮮半島の百済(くだら)を経由して伝わった音で、広く日本で用いられた音のうち最も古いもの。百済は中国南朝と交流があり、その長江下流域の呉地方の発音を移入した。
君:そうね。呉音に次いで伝わった音が隋・唐の洛陽あるいは長安の標準音に基づくものね。
私:最も古いのが古音で、五世紀以前に渡来人によってもたらされた中国漢代以前の音。日本で最も古い音だが、最古である事に敬意を表して、現代日本語としても歴代の中国王朝の文字については総称として漢字・漢和辞典なとの言葉で表現する。ところで呉音の日本語にはひとつの特徴がある。
君:ほほほ、仏教語が多いのよね。他に数詞とか。
私:うん。呉音読みで現代語に生きているのが、法師、功徳、布施、等。
君:「はんぢやく半着」の言葉が古語辞典に見つからなくても、関連語が見つかったのね。
私:ああ、見つかった。「ぢやくさう着相」仏語、形あるものに執着するさま。「ぢやくしん着心」仏語、世俗の物事に執着する心。「ぢやくす着」サ変、執着する・執心する。
君:となると「はんぢやく半着」は、例え仏典になくとも、仏語の派生語に間違いないわね。
私:うん。その事だけはどなたでもお認めくださるだろう。結局は当サイトの鉄板ネタといってもいいが、奈良時代に、つまりは仏教伝来の時代に平城京造営に駆り出された飛騨工が呉音を故郷へ持ち帰ったのでは、という推論が成り立つ。中央では室町まで「半着」の言葉があって文献に残るが、飛騨地方では俚言形ク「はんちくたい」に現代も生きているのでは、というのが佐七の主張だ。
君:飛騨方言の歴史の息吹を感じるわね。
私:飛騨方言の歴史は日本語の歴史といってもいいほど古い。まあ、全国各地の方言が全てそうなのだが。佐七は今後も飛騨方言を見続けていきたい。言い忘れた。呉音は仏教語が多いが、もうひとつ多いジャンルがある。
君:ええっ?何かしら。
私:庶民の言葉だな。無理、白米、家来とか。なんとこれらは奈良時代からの飛騨方言だぜい。
君:何を粋がっているのよ、お馬鹿さん。京都は呉音だわよ。京阪になると、これは漢音なのね。
私:なるほど、遣隋使・遣唐使によりもたらされた漢音による漢語が、漢文を読む際の正音とされたものの、呉音による「きやうと京都」の読みが現代まで続いているのか。
君:ところが東京については明治初年から大混乱。当初は「とうけい(漢音)」と読む人が多数派だったのね。明治三十年代に国定教科書に「とうきょう(呉音)」の読みが定められたのよ。
私:どうして京阪を「きょうはん」と読まないのだろう。これを考え出すと寝られない。
君:お馬鹿さんね。漢音で統一して「けいはん」なのよ。呉音で統一なら「きょうばん」になるわ。
私:なるほど、つまりは日本人は好むと好まざるとにかかわらず「漢音か呉音か」という世界に住んでいる。吉本に是非やってもらいたい、京大は呉呉でセーフ、阪大は漢呉でアウトかな。早速だが、呉音の東京・京都とは一味違って大阪は漢音で「たいはん」はどないだす?或いは若しや「はんぢやく半着」は呉音で「はんち(ゃ)くたい半着」は漢音ではないだろうか。つまりは呉音よりもっと古い音。濁音が清音になったという事ではなくて。つまりは推古朝以前に先祖返り。
君:をこなり。それでは折角の説、つまりは平城京の造営の飛騨工が都の言葉を飛騨に持ち帰ったという説が台無しじゃないの。「はんぢやくなり(はんちくたい)」はあくまでも仏教語呉音が奈良時代以降に清音化したからなのよ。ほほほ

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