大西佐七のザ・飛騨弁フォーラム |
きいない(2) |
戻る |
私:昨日の珍説、黄いないの語源・「黄な色」+「し」の続きを書こうと思う。 妻:あら「黄いな」+「い」じゃなくて「し」なのね。「青し」「赤し」「黒し」「白し」のお話なんでしょ。 私:ああ、そうだ。いつの時代まで「-し」が使われていたと思う? 妻:室町時代くらいかな。江戸時代は「青い」よね。 私:ちょっと待ってくれ。時代劇の見すぎじゃないか。「青し」その他、明治時代までだぜ。 妻:えっ、明治。まさか。 私:だって明治の国語辞書「言海」にそう書いてある。当然ながら「言海」には「黄色し」も記載があるんだ。「黄色ニ形容詞ノ語尾ヲ添ヘタルナリ。黄ノ色ニテアリ。」原文のまま。 妻:へーえ、脱帽だわ。これなら誰も反論出来ないわね。 私:そうです。「言海」は明治版の「現代用語の基礎知識」だからね。方言愛好家にとっては宝の山なんだよ。 妻:その後に「黄色い」となったのね。 私:そして飛騨では「黄な色し」が「黄ない」になった。 妻:ふむ。ところで、そもそも「し」って何? 私:ちこちゃんみたいな聞き方しないでよ。古文の基本助詞「し」に決まってるだろ。 妻:古文は百%忘れてるから基本といわれても。 私:「し」は奈良・平安からの助詞で話し手が判断を決めつけずに、ゆるくやわらげて婉曲に控えめに述べる場合に使う。例えば「恨めし」「惜し」「くやし」「かなし」 妻:なるほどね。恨めしい・惜しい・くやしい・かなしい、立派に現代語だわね。 私:ってか、現代語で「しい」で終わる言葉で「い」を抜いて古語のセンスになる言葉を考えた。 妻:なあんだ、そういう事ね。あなたのやりそうな事だわ。よく考えたわね。 私:そういうのを「ほめ殺し」と言うんだよ。 妻:今、ふっと思ったのだけど、「黄ない」の語源って「黄なり」じゃないの?ほら、ナリ活用とかタリ活用とかあったじゃない。 私:君も僕に毒されて古文の頭になってきたな。いいぞ、その調子。ただし、答えは否。古語辞典には「赤なり」「赤たり」もない。でも勝手な想像だが、「赤らむなり」とか「赤みたり」とか、あるかもしんないよ。そもそもが「なり・たり」は助動詞だから、 用言に接続する。体言に接続するのが助詞。色が体言くらいはわかるだろ。「赤くなる」という用言に接続するのが助動詞「なり・たり」。「なり・たり」問題については過去に幾つか書いている。例えば、ナリタリ一千年の歴史、 はんちくたい、助動詞・ヤ、の成立時期、煮たくもじ、しょうしな、なあ、ハ行動詞連用形促音便、文末詞・すと、まだまだ書き足りないね。達成感が無い。 妻:なるほど「黄なり」じゃない事は、かなり判ったわ。 私:言海の「黄ノ色ニテアリ。」が微妙にタリ活用だが。 妻:でも、説明の文ですものね。この説明文もその後の改訂では「黄ノ色デアル」になったのかしら。 私:ここまで、長々と書いたが最後まで読んでくださった読者の皆さまにとっておきの「ことのは」のプレゼントを用意した。「茶色い」です。 妻:なにを馬鹿な事を。 私:これは言海にも、古語辞典にもありません。「茶色い」は「ピンクい」と同じく昭和の言葉でえす。私は「なりきりチコちゃん」です。 妻:昭和?!ほんと?? 私:間違いありません。日葡にもどこにも茶色はないんです。所有辞書ざっと数十、いや百?全部調べた。これは方言量にもあらわれるんだ。青・赤・白・黒は和語なので方言量は各々1、つまり千年以上も全国津々浦々、全く変化していない言葉だ。くどいようだが、和語の青・赤・白・黒を表す方言は全国どこにも無い。ゼロです。黄は明治に「黄色い・きいない(飛騨)」になり、つまり方言量2でえす。茶色いは昭和の言葉で、現代語なので当然、方言量1でえす。だから「茶色い」の方言も全国どこを探しても絶対にないんですよ。有るわけがないと確信するね。 妻:・・あなたが方言に夢中になる気持ちがわかるわ。嗚呼、昔は私に夢中だったのに。でも辞典を相手に「色ボケ」なら許せるわ。 |
ページ先頭に戻る |