大西佐七のザ・飛騨弁フォーラム

しびつけない(しぶとい)

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私:昨晩は大西村の民話・彦左おりんを紹介したが、しびつけない(しぶとい)というク形容詞をご紹介した。
君:あら、その語源が分かったのね。
私:ああ、わかった。その前に、日本方言大辞典の記載から。「しびつけない」は全国共通方言のようだが、意味は三つ、★しぶとい、★無精だ、★気乗りしない、以上。
君:あらあら、バラバラの意味じゃないの。というか、しぶとい・無精だ、では正反対の意味ね。
私:それでも飛騨方言の意味は古語に由来し、意味も古語と同じという点において語源の発見は極めて容易だった。
君:じゃあ、早速に教えてね。
私:じらすわけじゃないが、しぶとい、という意味では全国広しといえども飛騨だけ。つまりは俚言といってもいいね。
君:古語辞典は「しびつけない」という単語そのものの記載があったのよね、角川古語大辞典全五巻の中に。
私:その通り。高校生が使う辞書には出てこない。「しびつけない」形、長くこだわるさま。しぶとい。文例は女大名丹前能。國學院大学図書館 デジタルライブラリーに全巻が公開されている。
君:簡単に説明してね。
私:うん。浮世草子の一ピーク・趣向主義の時代の通りだが、好色物のひとつ、「しびつけない」は18世紀あたりの江戸語だ。当時に幕府は飛騨を突然に天領とし、金森三代が終わる。従って「しびつけない」は江戸語の直輸入だろうね。がはは
君:でも肝心の語源の説明になっていないわよ。
私:ははは、そこなんだよ。角川古語大辞典全五巻の記載はさらに続く。実は同時代に「しひつける強付」動カ下一が存在した。文例は好色美人角力。意味は「酒や食事を無理強いする」。「しひつける」は「しひる」+「つける」の複合動詞だよね。そして「しびつけない」は「しひつける」の品詞の転成だと思うんだ。
君:でも思考プロセスをお話しなさらなくちゃ。
私:僕の考えはこうだ。飛騨が天領になった時の江戸語「しひつける」。これが江戸で、或いは飛騨で「しびつけない」に変化した。短期出張のお役人様・飛州群代だが、江戸と飛騨を行き来していらっしゃる。娯楽本をお持ちになったのだろう。まずは「無理強い」という意味で「しひつけ」という名詞が流行りだす。これがいつのまにが「しびつけ」と濁音化してしまう。そして「無理強いをするような」という意味で「しびつけな」という形動ナリの語幹、というか形動ナリ連用形の言い回しができたのだろう。これも多用される間にいつのまにか形容詞化してしまう。つまりは「しびつけない」。つまりは品詞の転成は三段階で生じたのだろう。まずは★カ行下一段動詞が連用形で体言に、続いては★名詞となった「しひつけ」からナリ形容動詞に、最終的には★ナリ形容動詞からク形容詞に。これが江戸から飛騨に伝わったのか、或いは逆か、江戸時代にも新東京語があったのさ。がはは
君:なるほどね。理屈は確かにあっているけれど証拠がないわ。
私:ははは、証拠なんか要るものか。なにせ、しぶとい、という意味で「しびつけない」、これは飛騨の俚言なんだぜ。だから飛騨出身の僕が考えたから、それが答え、という事じゃいけないのかい。
君:誰もあなたを相手にしなくなるわよ。
私:ソシュール学的にも合理的な説明だと思う。「しひつける」「しびつけない」は共に「しぶとく相手に強いる」という意味でピタリと一致する。シニフィエは変化せず、シニフィアンが変化した。品詞の転成によくあることだ。それに方言学的に考えると、ふたつの理屈を述べる事ができる。
君:とは。
私:「しひつける」は5モーラだから、つまりは音韻が多いから音韻変化は起きやすい。
君:もうひとつは。
私:即物的な概念、しかも和語などはシニフィエもシニフィアンも変化しない。何十世紀の歴史が流れようとも、山は「ヤマ」。ところが抽象的な概念に限ってはシニフィエは時に変化してしまう。「しびつけない」が「しぶとい」「無精だ」の正反対の意味になってしまうのはそのせい。
君:いつも同じ論法ね。もっとまともな議論ができないの?
私:日々、方言学、国語学、言語学の成書を読んでいるが、どうしても上記の自分流の考えに落ち着いてしまう。
君:ともあれ、ご苦労様。楽しんで調べものをしている気持ちだけは伝わるわ。ほほほ

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