大西佐七のザ・飛騨弁フォーラム |
しりべた・けつべた |
戻る |
私:今日は飛騨方言でいうところのお尻の話で。表題の両語とも飛騨では尾高アクセント。 君:とうとうネタ切れ近し。ただ単に「べた」という接尾語(辞)がくっついただけのお話よ。 私:いや、それは違う。一寸の虫にも五分の魂。些細な言葉でも日本語一千数百年の歴史の事もある。僕はどんな言葉にも語源が必ず古語辞典の中にあって、そしてそれを発見した瞬間に方言の神様と握手が出来ると信じて今まで記事を書いてきたんだ。今日は然も簡単だったかな。 君:つまりは接尾語(辞)と考えないほうがいいのよね。 私:その通り。接尾語(辞)ではないのじゃないか。複合語の中でも癒合語(強固に複合しもはや一つの言葉、例えば青葉)と言うべきかな。二つの言葉の結合で出来た言葉。そして出てくるのがライマンの法則(連濁の法則)。 君:ほほほ、なるほど。「けつ・しり」+「へた」が語源、つまりは古語の「へた」が語源なのかな、という事よね。 私:その通り。古語「へた辺・端」の意味は、はた。特に水際、ほとり、海辺、周囲。万葉集の和語だ。蛇足だが、古語辞典には「はた」もあって「へた」と同じ意味。ただし「はた」は中世・近世語だ。「へた」が廃れて「はた」になり現代語に至る。「はたからみてもハラハラだった」などの現代文としても使用は可能だ。意味は「傍観者としてハラハラと感じてしまった」。 君:なるほどね。たかが飛騨方言、されど飛騨方言ね。「しりべた」と言えば元々は「おしりのあたり」というキチンとした意味があったのよね。 私:そう、その通り。「しりべた」と言う音韻からは、野卑な、下品な言葉遣いと感ずる人が多いだろう。元の意味は丁寧な言い方、奥ゆかしい言い方、婉曲的な言い方、という事で寧ろお上品な言い方だったのかね。 君:つまりは敬意逓減の法則のようなものよね。 私:まあそんなところだね。と言いたいところが、それがそうでも無い面もある。日本語の不思議だ。 君:えっ、どういうこと? 私:「ほほ頬の辺り」の事を「ほっぺた」と言ったり「ほっぺ」という事もある。イチゴの「紅ほっぺ」は「章姫」×「さちのか」の組み合わせによる品種改良で品種登録年:2002年(平成14年)。どなたが名付け親なのだろう? 君:若しかして「しり」も「けつ」も調べたのよね。 私:当然だろ。「しり」は上代からの和語、その一方「けつ」は近世語だ。この事から容易に想像できる事がひとつある。 君:ほほほ、「しりべた」と「けつべた」の方言量の差よね。「しりべた」が圧倒的に多いのでしょ? 私:その通り。身体部分のあちこちを各地の方言では何というか、方言学の手ごろなテーマというわけで資料も多い。上代語「しりべた」から派生した音韻はワンサカあって、全国各地の方言になっているが、江戸時代からの言葉「けつべた」に関してはそれほど多くない。 君:なかには傑作な音韻変化があるのでしょうね。 私:おっ、するどいな。正にその通りだ。いやあ、日本人の発想の豊かさというか、書きたい事が山ほど出て来たが、またの機会にしよう。ところで「へた下手」の語源についても調べてみたよ。 君:なるほど、結論は? 私:諸説があり、決定打というものはないが、多くの語源資料には「へた下手」の語源は「へた辺」から来ているのでは、と書かれている。活動の中心にいなくて、隅っこに追いやられてしまっている人物と言う意味だから、僕も素直に信じたい。 君:佐七/もとより/深き/道は/しり/侍らず。 |
ページ先頭に戻る |