大西佐七のザ・飛騨弁フォーラム |
やくと(わざと) |
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私:飛騨方言に「やくと」という副詞がある。意味は「わざと」。アクセントは頭高。どの古語辞典にも副詞句「やくと役」は記載されているね。 君:格助詞「と」が名詞「やく役」に接続して一語になったのよね。 私:その格助詞「と」が問題だ。 君:意味が多岐にわたるという意味よね。せっかくだから簡単に総括してみてね。 私:旺文社古語では並列的に13の意味を列挙している。古語林は大きく二つに分ける。ひとつは複数の事柄の対比、もう一つは伝えたい内容の指示・指定。つまりは古語林のほうが分かりやすいかな。 君:対比を細分するとどうなるのかしら。 私:四つに分かれる。共同・相手「とともに」、並列「と」、比較・基準「に、と」、強調「すべて、とても」。 君:指示・指定の細目は。 私:三つだ。比喩「に」、結果「と」、引用「と言って、と思って、として」。 君:古語「やくと」と飛騨方言「やくと」は同じ意味だけど、では、格助詞の意味は何かしら。 私:指示・指定の細目で引用の意味だね、つまりは「役と言って、役と思って、役として」。 君:もっと口語的にわかりやすくすると「役目と言って、役目と思って、役目として」という意味なのよね。 私:その通りだ。角川古語大辞典では三つの意味の記載がある。ひとつには、もっぱらそのことにかかわるさま。熱心にそのひと言をするさま。専一に。例文は枕草子。二つ目は、その事を意識的・意図的に行うさま。特に。わざわざ。三つ目は、或る一事において程度がはなはだしいさま。むやみと。やたらと、 君:飛騨方言「やくと」は二つ目の意味であり、一つ目と三つ目の意味とは異なるわね。 私:そうなんだよ。だから方言は味わい深いというか、怖いというか。 君:ほほほ、続いてあなたが怖がっている意味がわかるわよ。 私:・・。そうなんだ。実は古語辞典には「わざ態」の記載もあるし、副詞句「わざと態」の記載もある。これまた微妙な五つも、六つもの意味があり、解釈は多岐に渡る。 君:つまりは飛騨方言「やくと」は共通語訳すると「わざと」になります、といっても、これまた微妙な問題になるのよね。 私:そういう事。ただし、ありがたいことに方言では哲学的な深い議論がなされる事はなくて、日常会話レベル。つまりは意味がだいたいあっていれば会話が成立してしまうという事。 君:要は、相手が何を思っているのか、それを自分はどの程度、理解しているか、自分が理解している事を相手に正確に伝える事ができるのか、上記のお話も、ただあなたが自分を世界観を語っているだけで、今日のお話しはわかりづらい内容だわよ。結局、何が言いたいわけ。 私:要するに現代の飛騨人は「やくと」を「わざと」の意味で用いている。話者も、聞き手も。だから正確に言葉の意味は伝わっている。メールの暗号化と複合化と同じ思考回路が話者にも、聞き手にも働いている。 君:なるほど、それはそうね。方言は合言葉なのよね。当事者同士は意味が通じる。然も古語を用いた暗号、それが方言、部外者には意味不明。そしてあなたは今を去ること52年前の1969年高校入学の時にその事に既にいち早く気づき、方言学に感激してしまった。おませだったのね。 私:そう。早熟。「ご挨拶」に書いた通り。懐かしい話だ。僕にとって方言学の原点といってもよい言葉が「やくと」だ。 君:大切な思い出を忘れずにいて、それは良かったわね。 私:ふふふ、さあ、前置きは以上。本論に入ろう。 君:えっ、結論ではなく、今から本論? 私:そうなんだよ。「やくと」を「わざと」と共通語訳して、だいたい意味はあっているから、普通は、方言なんてこんなもんだね、という事で議論はそこでおしまい。ただし厳密な意味で「やくと」と「わざと」は意味が違う。それがいつの間にか両副詞に用法の混同等が生じてしまい、ついには両副詞句は同じと解釈されるようになった、これが飛騨方言の歴史。うーん、混同が生じたのはいつの時代だろうか。「やくと」は平安の言葉、これが飛騨に輸入された経緯はよくわかる。律令制の時代、飛騨工という人頭税を払い、おびただしい飛騨の男が都と飛騨を往復したからだろう。「わざと」も枕草子に出で来るが近世語に多い。こうなってくると本当に話はややこしくなる。いつ「やくと・わざと」が混同されるようになったのだろう。これを考えると、今夜も眠られない。 君:ほほほ、だから方言千一夜ね。 私:だからいったでしょ。いよいよ、本論ですよ、って。気になり、先ほど来、方言、意味の取り違え、等々をキーワードにネット検索をしていて、またまたびっくり仰天。 君:何に? 私:何はともあれ、ミスコミュニケーションはどのように発生するかをご覧あれ。 君:人文系にしては少し短めの論文だわね。 私:それも然ることながら、著者・岡本真一郎の名前を見てびっくり。 君:あら、お知り合い。 私:知り合いなんてもんじゃない。斐太高校の一年先輩だ。首席で卒業していらっしゃる。当時は旺文社模試というのがあって、数十万人が受験したが、確か三位の順位で、要は当時の受験の王者、斐校の名物男だった。現役で京大文学部、翌年に僕も大学生になったが、夏休みに高山市の田近書店で岡本さんとバッタリと出会った。私のほうから「先輩!」と声をかけたら、彼も「あらっ、大西君。」という事で、二人で小一時間ほど立ち話をしてしまったんだよ。京大キャンパスの事、文学部心理学科が楽しくて仕方ない事などを生き生きと語ってくださった事を覚えている。京大大学院で文学博士か。先輩も大したものだね。愛知学院大学教授になっておられる事は先ほどまで知らなかった。著書も調べた。いやあ、面白そうな本ばかり。先ほどは早速、アマゾンで調べ、早速に買い求めたよ。早くて明日に本が読めそうなのが楽しみでしかたない。 君:温故知新で良かったわね。 私:心理学者は方言にはご興味ないのかね。 君:国語学会の所属で、英文の著書もおありで。でも方言学の論文は見当たらないわね。 私:心理学といっても間口が広いしね。なによりも今夜は岡本先輩がお元気でおられる事が確認できただけでも嬉しい限りだ。 君:プロが変わり者のあなたの心理分析をしてくださるわよ。ほほほ |
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