序
筆者は岐阜県高山市の出身にて、同県可児市で開業する無名の町医者です。飛騨方言は勿論ネイティブですが、中学生時代までは、方言、(所謂)汚い言葉、を捨て折り目正しく標準語にて読み、書き、話す国語教育を受けていましたので、普段は診療等、仕事で飛騨方言を織り交ぜてお話をする事はありません。
さて白線流しで全国に知られる地元で唯一の進学校、岐阜県立斐太高校に入学したのが1969年(昭和44年)でした。古語辞典をまずは通読し、副詞句「やくと」を発見した時のショックがつい昨日の事のように思い出されます。飛騨方言では「わざと」の意味で用います。原意は「役目として」です。さあ授業、古文を住英明先生(金沢文卒)、松崎充先生(国学院文卒)のお二人から、現代国語を大野国士先生(信大人文卒)、榎戸精一先生(早大文卒)のお二人から教わり、柳田國男の方言周圏論を知るに至り全てが判明、方言について強烈な興味を覚えました。ただし大学受験には不要の学問です。まずは心の片隅に封印。
本格的に飛騨方言について独学を始めたのは2004年、51歳からです。当時に流行りだしたのが電子メールでのグループチャット、地元の同級生達とたわいもないメールのやり取りのなかに飛騨方言のフレーズを入れるとさらにグループの会話は盛り上がり、半ばお祭り状態です。方言は同郷同士が手っ取り早く意思を疎通させる最強のツールなのです。なぜ彼等も私も方言の書き言葉に心和ませるのだろう、職業柄、文化人類学的観点からも私の飛騨方言に対する興味は募るばかりです。
それ以前の問題として、私は国語学の下位分類、方言学については専門外であり何も知らないに等しいので、まずは資料集めから始めました。アマゾンを駆使し、飛騨方言に関する書籍、多くは絶版、をほとんど集めました。当時出版されていた古語辞典は全て買い揃えました。日葡(にっぽ)辞書も迷わず買いました。金田一春彦先生の著書もほとんどを読みました。ある程度の基礎知識が身につくと、飛騨方言の解析が少しずつ可能になってきました。ネットで知り合った同好者にメールで教えていただく事も増えました。
それでも学問の壁が実はありました。俚言の悲しさ、文献はありません。どうしても語源を知りたいのですが、民俗学的観点から自分で考えて解くしかありません。例えば飛騨の俚言に「がで」(【名詞】分量, quantity。)という平板アクセントの言葉があるのですが、約一年間ほど考え続けました。そして結論、「がで」は「使い出」が訛った言葉に違いありません。それはある日、天から答えが降りてきたような感覚でした。数学の難問の解法が突然にひらめく感覚と同じです。うれしくて一日中、大人げなくはしゃいでしまいました。
2005/02/13に少しまとまった内容をヤフーのジオシティーズ(社の都合により既に運営停止)にホームページの形で上梓しました。アクセスカウンターはすぐに反応し、世の中に読者がいらっしゃる事がわかりました。面白いので毎日のようにページを更新し、最終的には2008/12/31まで活動を続け、総ページ数は以下の通りですが二千以上になりました。総訪問者数は35万人を超えました。英国にお住まいの飛騨古川出身のお方から感謝のメールをいただいた事もあります。SK女史(筆者の中学並びに高校の同級生、元斐太高校国語教師)のようなソウルメイトの暖かい励ましも私の活動を後押ししてくれました。この場を借りて厚く御礼申し上げます。勿論、ヤフー社の無償サービスに対しては感謝の言葉では言い表せない恩義を今でも感じています。
上述したように、面白うてやがて悲しき鵜舟哉、ヤフー様運営停止による幻の平成版飛騨方言サイトですが、再び令和の新時代の皆様に御閲覧いただけましたら幸いです。- 双方向コミュニケーションを目指しておりますのでご感想、ご意見が有りましたら是非お知らせください。
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大西佐七は筆者の事、大西は生まれ育った村・岐阜県高山市久々野町大西の事にて、佐七は生家の屋号です。午前は働いていますが午後は暇を持て余していますので、お気軽にメールをくださいませ。
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ザ・飛騨弁フォーラム