大西佐七のザ・飛騨弁フォーラム |
やくやく(=わざわざ)2 |
戻る |
私:昨晩は飛騨方言「やくやく」についてお話ししたが、今夜も続きだ。 君:枕草子「やうやう漸」のお話? 私:いや、それはまた別の日に。古語辞典には「やくやく漸々」の記載もあるが、「やくやくと役々(ト)」の記載もある事について。 君:元々が「やくやく役々」で「やくやく漸々・やうやう漸」は後世かしら。といっても枕草子。 私:「やくと」が出来て、「やくやくと」が出来て、「やくやく」そして「やうやう」になったのだろうね。 君:さあ、どうだか。 私:左七節だ。前置きはさておき、早速に本題だ。古語副詞「やくと」の古語辞典の記載だが、一般の古語辞典の記載は数文字。ここは角川古語大辞典全五巻にご登場願おう。意味は三つだ。以下原文。 壱、もっぱらその事にかかわるさま。熱心にその一事をするさま。専一に。 弐、その事を意識的・意図的に行うさま。特に。わざわざ。「やくとう」とも言う。 参、或る一事において程度がはなはだしいさま。むやみと。やたらと。近世、東国方言として文芸に見える。 君:さすが、記述が多いわね。 私:僕にとっては宝物。その長い記述だが、要約が可能だろう。 君:まずは壱の意味からスタートして、後世に意味が二つ加わり、最終的に三つの意味になったという事ね。 私:然も参の説明文には近世の文字もあるから、古い順に壱、弐、参だ。飛騨方言「やくと」は専ら弐の意味で用いられる。更にはもうひとつの観点から要約が出来るはずだけど。ヒントは昨晩の記事。 君:ほほほ。わかるわよ。良い意味か悪い意味か、という事ね。壱が良い意味で、弐、参は悪い意味。 私:その通り。言葉というものは「敬意逓減の法則」といって、良い意味から悪い意味に変化するのが常。貴様という言葉は良い意味で使われていたが、現代口語では相手をののしる言葉になっている。 君:「やくやくと役々ト」のお話は? 私:そうだね。実は以上が前置きで、ここからが本題。「やくやくと」には「やくと壱」の意味、ないしそれと強調であり、弐、参の悪い意味は無い。つまり中央での流れとしては「やくと壱」に続いて「やくと弐」が生まれ「やくと壱」は消滅、新しく生まれた「やくと弐」もやがて廃れ、遂に現代語「わざと」に代わった。実は中央にはそもそもがメインストリーム、つまり良い意味の流れも存在し、「やくと壱」が「わざと」を経て、現代語「わざわざ」になっているのでは。あくまでも推察。若し間違っていたらゴメンネ。 君:なるほどね。飛騨方言は? 私:飛騨方言の流れとしてもやはり two-way traffic だ。「やくと壱」は「やくやくと」から格助詞部分が脱落し「やくやく」になったが意味は残った。「やくと弐」は誕生した時の形のまま現代まで生き続け、現代飛騨方言では悪い意味「やくと」と良い意味「やくやく」の使い分けがなされている。以上は a priori reasoning 。 君:上古に中央で「やくと壱」から「やくと弐」が生まれたらしいという事は認めるわ。廃れた事も。格助詞の脱落も。ところで古語「やくと」と古語「わざと」の関係は?これが一番に肝心な事でしょ。 私:そうなんだよ。当然、そのような質問になると予想していた。簡単にひと言、古語「わざと」には「やくと」をしのいでさらに二つ、合計五つものの意味があり、角川古語大辞典の記載は更に精緻につき、従って中央にて「やくと」が「わざと」に取って代わられる歴史は非常に複雑、まだ左七の頭に整理されていないんやさ。前頭葉がカオスの状態やさ。飛騨方言についてはネイティブなので妙に納得、なるほどご先祖様方はこのように日本語をとらえてござったのか、という感じ。ぶっ 君:今夜も「やくと」変な記事を「わざわざ」書いて。左七きらい! |
ページ先頭に戻る |