飛騨方言の言いまわしに、だばえた、があります。
もともとは、駄馬のような、という意味で、意味が敷衍して、くだらない、つまらない、おとる、というような意味です。
だばえた人間、といえば、事件などで新聞紙上をにぎわすような方々、という意味になります。
だばえた試験問題、といえば、これは人によって見方が百八十度、異なってしまいます。
例えば大変な俊才が、簡単すぎる問題をみて、だばえた試験問題、といえば、
誰もが解ける問題は出題する意味がない、くだらない、という意味で用いるでしょう。
かたや、凡才が難しい試験問題をみてだばえた試験問題、といえば、見たこともないような、
教わった事もないような、一体全体なんと言うつかみ所のない問題だ、誰だって解けるわけが無いだろう、
だから出題する方が間違っている、くだらない出題者だ、という意味で用いるでしょう。
さて、きりん(麒麟)も老いては駄馬に劣る、といいます。だばえた麒麟、というのは序列はどこになるのでしょう。
私なりの見解は以下の通りです。
まずは、麒麟は駄馬より優れている。がしかし、麒麟は老いると駄馬以下になります。
従って序列はいい順に、麒麟>駄馬>老いた麒麟 です。
次に、だばえた麒麟が(だばえていない)麒麟より序列が低いのは言わずもがな、がしかし、
腐っても鯛、の例えの如く、例えだばえていても麒麟である以上、
だばえた麒麟は駄馬より序列は上でしょう。
そして、だばえた麒麟が老いてしまうと、これは駄馬以下になってしまうのです。
つまりは、いい順に、
(だばえていない)麒麟>だばえた麒麟>駄馬>老いた麒麟
となるというのが私なりの主張です。
また、だばえた麒麟であってもまさか老いてはいないでしょう、
また駄馬は必ずしも老いているわけではありません、つまりは
老いていないし、だばえてもいない麒麟>だばえてはいるが老いていない麒麟>駄馬>老いた麒麟>老いた駄馬
と書くのが正しいように思います。
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