大西佐七のザ・飛騨弁フォーラム

にわとり

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私:鶏の飛騨方言は御存じですね。具体的には土田吉左衛門著「飛騨のことば」に約一万の飛騨方言の生活語彙が記載されていますが、その中にある鶏関連の語彙を列挙していただきたい、というような意味ですが。
君:方言に関心の無い人には無理な注文だわ。
私:失礼しました。答えですが「とてこっこ」の一語のみです。幼児語でもあり、そもそもが方言ではない、と解釈する事も可能です。
君:飛騨は広いのでその一部で話されているのでは。多くの地域では「にわとり」だと思いますが。
私:おっしゃる通り、方言分布は年々、変化しますので。手元に資料「日本のまん真ん中岐阜県方言地図第一集」があります。平成六年刊で県下3200の老人クラブの全数調査です。母体は岐阜県方言研究会て高校の先生が主体で、そのお一人が岐阜高校の伊藤俊一先生です。集計では岐阜県の語彙は「にわとり」「とり」「こけこっこ」「とてこう」「とてこうこう」「とと」「とーと」「とっと」「おとと」です。「とてこっこ」はすでに消滅していた可能性があるのです。お察しの通り、県下で広く「にわとり」が使われています。
君:ほほほ、それでは話が続かないわね。
私:ははは、その通り。では死語でもよければ、という事で続けましょう。土田辞書には「とてこっこばな」があって、これは各種の方言資料に飛騨方言としての記載があるのです。何の花だとお思いなさいますか?戦前辺りの人間になったつもりでお答えくださいましたら光栄です。飛騨の野山に咲く花、答えは皆が知っている花なのですから。
君:想像できないわ。
私:実は三つもあるのです。「つゆくさ露草」「芍薬の花の中にあるめしべ」「はこべ繁縷」の三つです。
君:形からの連想かしら。
私:「つゆくさ露草」ですが、鶏冠にしては青ですかねぇ。

君:私、あなたの苦しい気持ちが判るのよ。
私:ありがとう、君は本当に優しい。続いては「芍薬の花の中にあるめしべ」

君:ほほほ、説明不要ね。
私:赤い鶏冠の言葉が無くても二人の心が通じるとは、素晴らしいじゃないか、ありがとう。(コホン)「はこべ(ら)」については土田辞書に「春の七草のひとつ、鶏がよくついばむ」という説明がありました。
君:一つの語彙で三つの花では混乱が生じないかしら。
私:ごもっともなお考えです。村によって意味する花が違っていた可能性が高いですね。
君:ふふっ、全国の方言にも「とてこっこばな」があるのよね。
私:ええ、勿論ですとも。露草の意味では長野県下伊那郡、露草の意味で「とてこっこぐさ」が福岡県柳川市、「はこべ繁縷」の意味で「とてこっこばな」が千葉県安房郡、葵の意味で「とてこっこ」が新潟県中頚城郡、つまりは極めて少ないですね。飛騨の俚言と言ってもいいレベルですね。
君:鳥から始まって花の話ばかりね。然も「とてこっこばな」は死語のようだし。
私:えっ!お言葉だな。じゃあ、岐阜県方言地図第一集に戻りましょう。「にわ(とり)」以外はオノマトペである事にお気づきですね。
君:それはそうだけど。
私:ふふふ、どうして「かけろ」が無いのでしょう?
君:あっ、そうか。古語では鶏の鳴き声は「かけろ」、そもそもが鶏、つまり庭ツ鳥、の古称は「かけ」で鳴き声から来ているのだったわ。「かけ(ろ)」は全国的に多いのじゃないかしら、
私:いえいえ、それがそうではないのです。日本方言大辞典によれば「かけろ」は富山県西砺波郡のみ、「かけろむし」青森県三戸郡のみです。「かけろむし」は昔話の中で言う、の注釈もありました。
君:でも鶏の方言は全国に多いのでしょ。上述の岐阜県資料では方言量が9だわ。
私:細かい事は抜きにしましょう。鶏の全国の方言量はざっと50です。一番に多いのが「とて・・」の系統、続いて「こけ(けけ)・・」の系統、二系統併せて半数以上になりますね。更にひと言、「かけろ」が方言として花咲かなかった理由はなんとなく想像してしまいますね。
君:ふふっ、妄想ね。
私:ははは、何とでもおっしゃってください。神楽歌にある「かけろ」は文学的すぎた響きだからでしょう。「かけ崖」との同音衝突を嫌った可能性ってのもあるかも、つまり「かけつかけ」なあんちゃって、ははは。それに文学的といえば、鶏の古語って実は多いのですね、いやあびっくりでした。
君:庭ツ鳥以外に?
私:あけつげどり明告鳥、いへつどり家鳥、きんけい金鶏、くたかけ朽鶏、しばなきどり屡鳴鳥、ときつげどり時告鳥、とこよのながなきどり常世長鳴鳥、ながなきどり長鳴鳥、にはつどり庭鳥、ひんけい牝鶏、やこゑのとり八声鳥、ゆふつけどり夕告鳥・木綿付鳥。枕詞として「いへつどり」「にはつどり」で「かけ鶏」に掛かるのでしたっけ。家の庭の鳥で「かけろ」と鳴く鳥ですね。ははは
君:ほほほ、冗談好きね。家の庭、面白いわね。では私の逆襲よ。庭には二羽、にわとりが居る。かけろと鳴いて駆けろ。
私:ははは、小学校の時、やりましたね。負けるもんか、裏庭には二羽、庭にも二羽の鶏。くたかけよ、食ったかい?それと傑作なのが木綿附ですよね。夕告の当て字、つまりは言葉遊びから出た言葉でしょうね。実際に騒乱のあった時に鶏に木綿を付けて都の四境の関で祓をしたそうですから。四角四境祭です。
君:ええ。
私:もっと面白いのが山口仲美女史著・暮らしの言葉擬音擬態語辞典ですね。
君:とは?
私:鳴き声の変遷が記載されています。上代から室町までは「かけろ」、江戸時代に「とうてんこう東天紅」が出現、さらには江戸時代に文献に現れるのが「こけかう」狂言鶯蛙(おうあ)集、明治には「こっけいこう滑稽稿」西洋道中膝栗毛(弥次喜多がロンドンへ行く物語)、現代は専ら「こけこっこー」ですね。
君:東天紅は秀逸よね。若しかして中国も?
私:ははは、違いますよ。たった今、調べました。日本語:東天紅(とうてんこう)は中国語で bao xiao ji sheng です。
君:ほほほ、日本人の漢字センスもなかなかね。
私:ところで。「くたかけ」でひとつ、ふと考え付いた事があるのだけど。
君:えっ、何?
私:これすらオノマトペじゃないかな。つまり「こけこっこ」のご先祖様の言葉かも。要は「くた」=「こけ」、「かけ」=「こっこ」、つまりは古代のオノマトペ。伊勢物語に書いた通りだけど、鶏をののしって言う言葉という解釈の唯一の根拠があの例の和歌のようなんだけどね。原義が忘れられて後には鶏の雅語となる、との記載の古語辞典もあるけど、僕にはしっくりこないな。「くつ朽」自タ上二、「くたす朽・腐」他サ四、の何れにせよ、連体形では「くつるかけ」「くたすかけ」になっちゃうでしょ。文法を無視するのはよくないよ。「くたすかけ」から一モーラが脱落して「くたかけ」になったのかもしれないけど、古代から「くたかけ」というオノマトペが存在して、後の世に半ば強引に「朽」を当て字にしたんじゃないのかな。それも伊勢物語のたった一つの和歌を根拠として。
君:一理あるわね。でも裏付けの文献が無いのでしょ。妄想よ。
私:実はね、最近、数冊だが読んだのさ、清水由美さんの著書を。そのひとつが「辞書のすきま すきまの言葉」。辞書は文字数が限られるから徹底的に字数をそぎ落とし、断定的な辞になっちゃうんだ。言葉にならない言葉、メタ言語の問題もある。辞書は強力な武器だけど、人間が作ったものゆえ過大視してもいけない。
君:彼女、有斐会の東京支部で講演なさってるわよ。
私:だね。大学ゼミもこなしていらして。東京じゃ名物女性ですね。中部に住んでるとお会いする機会がないねぇ。
君:お互いね。

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