大西佐七のザ・飛騨弁フォーラム |
ぬくとめる |
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私:お風呂などで体が温まる場合、飛騨方言では「のくとまる」という事を紹介した。 君:今日はその他動詞化で「ぬくとめる」というお話なのかしら。つまらないお話ね。 私:いや、そうでもないよ。先ほどだが、面白い事実を発見した。 君:ほほほ、衒学的な態度は読者の皆様に嫌われるわよ。 私:事実のみを記載しよう。前述の「のくとまる」の記事を書いた時は手元には高校生が使う市販の古語辞典しか無かったんだ。 君:それらの古語辞典には「ぬくし」「ぬくとし」の語彙しか無いので、「ぬくとまる」の語源は「ぬくし」+「とどまる」ではないかと記載したのよね。 私:その通り。先ほどの発見とは、数日前に入手した角川古語大辞典全五巻を紐解いたところ、新たな事実を発見できた、という事なんだ。 君:手短にお願いね。 私:ああ。角川古語大辞典には「ぬくし・形ク」「ぬくとし・形ク」「ぬくとめる・他マ下一」の三つの語彙の記載があった。 君:つまりは角川古語大辞典には「ぬくとまる・自マ四」の記載は無かったのね。 私:念を押して書こう。他動詞はあったが、自動詞は無かったんだよ。 君:へえ、そうなの。ならば他動詞から自動詞が派生したという意味じゃない。 私:「ぬくとめる・他マ下一」の記載をそのまま転記しよう。・・ぬくめる。暖める。後出二例によれば、文化・文政頃には信濃方言と受け止められるようになっていたか。「仏法でまだぬくとめる岩の上」江戸筏。「畳さん、さめとるうどんぬくとめろ」続太はし集・三。「軽井沢ぬくとめられつぬくとめす」柳田留41。「好きならソレ、ばばあ殿の、餅をしんぜさつせえ。またつせえまし。ぬくとめてやらう」膝栗毛・信濃の老婆会話。 君:要は「ぬくとめる・他マ下一」は近世語で信濃方言ね。 私:しかし、ここにひとつの大きな落とし穴がある。 君:どういう事。 私:つまりは古語辞典に現れる資料はあくまでも文書として残されたものの記載しかないという事。実際には方言は口語なので全て文学に記載があるとは限らない。 君:そうね。多分、小学館方言大辞典には日本全国の方言として「ぬくとめる」「ぬくとまる」の記載があるという事なのよね。 私:その通り。小学館方言大辞典とて文献を基に編纂された辞典だが、文献とは郷土史本であったり自治体が出版する町村資料に記載のあるオラが町の方言紹介記事あたりを丹念に拾って編纂されたものだから、基礎となる資料が根本的に異なるんだ。 君:それに古語辞典は古事記・日本書紀に始まって近世文学に至るまでを網羅する辞典なのに対して、方言辞典の基礎資料は戦前戦後辺りの若い資料のみを対象としているわね。 私:正にその通り。 君:例え文学の世界では膝栗毛に「ぬくとめる」の記載があったからといって、方言としては「ぬくとめる」「ぬくとまる」が使われているのだから、他動詞から自動詞が派生したと考えるのは短絡的すぎたわね。 私:ははは。直ぐに気が付いたという事は素晴らしい事じゃないか。それに琉球方言にも注目すると「ぬくとめる」「ぬくとまる」について、もうひとつの結論が見えてくる。 君:どういう事。 私:沖縄はじめ南西諸島に残る方言では、「ぬくとめる」に関しては、ぬふたみるん、ぬふみん、ぬくみるん、ぬふむ、等々、沢山の語法があるようだ。「ぬくとまる」に関しては、ぬくどぅくる、の記載がある。 君:こうなってくると「ぬくとめる」「ぬくとまる」共に和語、つまりは日琉祖語という事かしらね。 私:そのように思う。全国にある言葉といってもよい。更に、強いて言えば・・ 君:ほほほ、中央語でなければ方言。中央語は文学になりやすいが方言は文学になりにくい、という事ね。 私:更には古語辞典の編纂では異なり語数(ことなりごすう)と延べ使用頻度の問題がある。 君:説明お願いね。 私:異なり語数は、あるテキストの中で、同一の単語が何度用いられていてもこれを一語とし、全体で異なる単語がいくつあるかをかぞえた数。これに対するのが延べ使用頻度。英語では 異なり語数=quality、 使用頻度=quantity。日常語ではクオリティーが高い・低いという例文に示される如く、品質の優劣を意味する事が多いが、実は誤法に近い。quality は他者と弁別される最小限の物が幾つ詰まっているかの概念で、異なり語数の概念に近い。 君:ほほほ、つまりはコンパクトな辞典では異なり語数に目をつぶって延べ使用頻度の多い語彙を掲載するし、他方、角川古語大辞典全五巻は日本で唯一、延べ使用頻度に関係なく最大の異なり語数の辞典という意味よね。 私:その通り。その角川古語大辞典全五巻をしても方言研究という点においては方言大辞典にかなわない。古語辞典は方言辞典の参考資料というわけだ。 君:そんな事をしていて貴方は楽しいのね。 私:ああ、楽しい。古語辞典は文学の世界だが、方言辞典は口語の世界。 君:文学にも会話は入って来るわよ。 私:それに日葡辞書には安土桃山あたりの上方の口語が生き生きと記述されている。読んで飽きない。 君:秋深し隣は何をする人ぞ。 私:そう。いつも思う。君は既に定年。今、何をしているのだい。 君:ほほほ、あなたの想像する通りの事よ。 |
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