歳を重ねると語彙は増えますが、逆に忘れていく語彙もあり、結局は中高年以降の語彙総量はプラトーになり、やがて忘れる語彙ばかりになり、最後は最愛の妻の顔認証も出来ず名前すら出てこなくなり、あんた誰?、と言わなくてはならないのが人間です。私も昨年に65歳を過ぎて介護保険の保険証が発行されてしまいました。使ってはいませんが。
早速に本題ですが、ひとつフッと思いつくとすぐさま内省(ないせい、独り言をいって方言のセンスにあっているか自らが判定する方言学の手法)の実験に入る事が出来るのが方言話者、つまりはバイリンガル、の強みです。本日(2020/4/13)は春にしては寒いのですが、ハッと気づきました。飛騨方言では「さむい」は「さぶい」です。同様にして「つめたい」は「つべたい」、「ねむたい」は「ねぶたい」、「せまい」は「せばい」、続々と思い出されますが、きりがないのでこのへんで。飛騨方言の語彙が私の前頭葉に記憶の粒として残っていました。
直ちに手元資料をあさってみました。岐阜県方言研究会編「日本のまん真ん中岐阜県方言地図」などが役立ちます。同書は県内各地域にあります老人クラブが総動員され、ひとつの共通語語彙に対して各市町村でどのような言葉で話されているかを克明に調べた第一級の資料です。やはり思った通りで飛騨全域で「さぶい」「つべたい」が使われ、美濃地方では「さむい」「つめたい」が多いのです。飛騨では「さむい」「つめたい」はほとんど用いられません。ただし同書の出版は平成6年なので、令和の現代に飛騨地方では「さぶい」「つべたい」が消滅しかけていよう事は想像に難くありません。飛騨方言においては末語の2モーラが「マ行音」+「い」の形容詞の一部が「バ行音」+「い」に音韻変化する事がある、という事がわかりました。ただし飛騨方言でも流石に「あまい」「うまい」がこのように音韻変化する事はありません。時間があれば全数の形容詞について内省の結果をお示しできましょう。
なぜこのような音韻変化が生ずるかというと下記の子音表からも明らかですが鼻音(nasal)と破裂音(plosive)が似通った音である事と、ではなぜ「パ行音」+「い」にならないかというと、有声音に挟み撃ちされた無声音は連濁の法則が働く、という音韻学の法則からでしょうね。落語的には、空気が冷たいと鼻腔が冷えてつらいから軟口蓋を閉じてなるべく鼻の中をあったかくしておきたいから、などという珍説も可能でしょうが、その説では「せばい」「ねぶたい」が説明できません。
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