大西佐七のザ・飛騨弁フォーラム

みえる(=おみえになる)-2

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私:今日は再び中部地方共通語表現の代表、敬語表現「みえる」について。
君:今まで散々書いてきたじゃないの。今更ね。
私:いや、そういう陳腐な話じゃなくて本日、仕入れてきたフィールドワークの話だ。
君:フィールド?どこ?
私:山口県。長門国。
君:それが中部地方共通語「みえる」とどう関係があるの?
私:全国を旅するので「心の旅路」のコーナーでもいいかなとも思ったが、一応はここ「飛騨方言の敬語体系」のコーナーの話題とした。
君:いいから結論を言ってちょうだい。
私:うん。地元山口県の観光バスで同県内をぐるぐると回ったが、バスガイドさんが「〜してみえます」という尊敬表現を使った事を聞き逃さなかった。ほんの一瞬の事だった。
君:それで?
私:ガイドさんとて、また勤務中とて、手持無沙汰の時間もある。僕はすかさず彼女に近づいて話しかけたんだ。
君:ふふふ、おおよその検討はつくわよ。要はあなたが話しかける意図をガイドさんに悟られない事ね。
私:その通り。僕の知りたいのは一点、つまりは彼女の生まれと育ちだ。「いやあ、ガイドさん、博学ですね。勉強になりました。」「お恥ずかしい。四十年もやっていますもの。娘の時から。お祖母ちゃんになってしまいましたけど。」「おっ、独身時代からガイド一筋、いいじゃないですか。ところで変な質問でごめんなさい、中部地方のご出身ですか?お生まれはどちらですか?」「えっ、生まれ?私、生まれも育ちも山口県です。」
君:なるほどね。これで明らか、「みえる」尊敬表現は、実は中部地方限定共通語ではなく、全国共通方言であろうと確信したのね。
私:そうなんだよ。今まで旅で知り合った人に方言の言いぐさからご出身をズバリ言い当てて尊敬のまなざしで見られた事に気をよくしていた。僕の審理眼は、まだまだだ。「みえる」尊敬表現を話すからと言って中部地方のご出身と断定するのは早計、というのが今日の結論。
君:わかりやすい結論ね。古語助動詞「らる」は、受身・可能・自発・尊敬、この四種類の機能を持つわけだから全国共通方言であってもおかしくないわね。
私:「みえる」の古語は下二「みゆ」の未然形「みえ」+「らる」だから、古代の飛騨方言、というか全国の方言は「みえらる」で尊敬の意味を表したのだろう。時代は奈良・平安か。室町・江戸あたりの助動詞「らるる」はどう活用しても「みえる」にはならないのだけど。
君:確かに。奈良・平安は「みえらる」、室町・江戸は「みえられる・みえらるる」で、「る」がもうひとつ余分につくのよね。
私:早い話が、奈良平安の中央の尊敬語「みえらる」が壱モーラ脱落して現代の中部地方と山口県に「みえる」の形で残っているので無いだろうか。ついでに言えば。室町・江戸では中央においては「します・さします・しゃる・さしゃる・やしゃる・やる」等々の尊敬を意味する助動詞が生まれたが、飛騨方言では結実しなかった。
君:もう、何が何だかわからないのでおしまいにしましょうよ。
私:そんな事、考えてみえてごさったんでございますかいな。最高敬語。
君:貴方の意図がみえるわよ。可能表現。ほほほ

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