大西佐七のザ・飛騨弁フォーラム 近隣の方言

佐七、九頭竜川を上り、油坂峠越え。
日本有数の方言境界線である白山・養老山脈線。

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金沢へ出張しました。 飛騨方言の取材のつもりもあって普段は鉄道ですが車にしました。 行きは東海北陸自動車道を利用し、庄川を下り、砺波平野へ抜けました。 帰りは福井から九頭竜川を源流まで走り、油坂(あぶらさか)峠越えです。 つまりは念願かなって日本有数の方言境界線である 白山・養老山脈線を行き来した旅でした。

さて油坂峠をキーワードにネット検索しますと、 この峠が昔からいかに交通の難所であったかが理解できましょう。 ご興味ある方はお試しあれ。 つまりは明治時代までは、人がすれ違えないような細々とした道が 九頭竜川の深山渓谷に一本あっただけのようです。

九頭竜ダムが完成する前にわずかに住む人々も去り、 あたり一帯は完全に無人の地帯となってしまいました。 私も、ダムを過ぎたあたりで昼飯にでもするか、と ドライブしたのですが、結局は店は何もなし。前後を 走る車とてなく、一人ポツンと、黙々と、方言境界線を感じながら、 ひたすらに狭い谷あいをドライブしたのでした.

古代には人の行き来があったのでしょうか。 否でしょう。中世から江戸時代まではどうでしょうか。 やはり人はほとんど行き来しなかったのでしょう。 牛や馬も行き来は無理。 明治になって相当な努力が払われ、ようやく自動車道が 出来て、ひと、つまりは言葉が往来する道となったのでしょう。 さて、福井市から越前大野を経て九頭竜ダムまでは、 なんと鉄道が走っています。越美北線です。 また油坂峠の岐阜県川には越美南線があります。 越美は越前と美濃の合成地名です。 鉄道も終にはこの日本有数の方言境界線を 超える事は出来なかったのでした。

さて峠の西は福井大野方言です。東は美濃白鳥ですから 郡上方言。ただし郡上と荘川は目と鼻の先の距離であり、 隔てる峠は優しく、つまりは 郡上方言と飛騨方言の境界はあってないようなものでしょう。 共通語彙も多く、いくつかの学術書には郡上方言と飛騨方言 を岐阜県北部のひとつの方言として扱うものも ある、と書き添えておきましょう。

つまり筆者が言いたい事とは、広義では油坂峠を境にして 飛騨方言は福井大野方言と対峙しているのです。

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