大西佐七のザ・飛騨弁フォーラム 近隣の方言

政こ(政男)

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私:先だっては飛騨方言「ちゃんち・ちゃんちんこ(お座り)」について、「ちゃんちんこ」は意味論的には「ちゃんちする事」に相当する事をお話しした。
君:接尾語(辞)「こ」は方言学的には約十種類の意味があり、富山の方言に、政こ(政男)、があったので今日はその詳述というわけね。
私:うん。但し、実は飛騨の近隣・富山の方言という意味ではなく、これはどうも全国共通方言のようだ。理由については推して知るべし。
君:どの地方の方言なの。
私:ひとつは富山県砺波。出典は佐伯安一著「冨山民俗語彙、1961」。もうひとつは大分県宇佐郡。土肥健之助著「大分県方言類集、1902」。
君:多分、富山県でも大分県でも死語になつているわね。全国共通方言は言い過ぎだわよ。日本広しと言えどもたったの二か所。つまりは俚言でいいのじゃないかしら。
私:まあ、そんなところだろう。こりゃ、やはり俚言だな。この二地域ですら戦前辺りには死語になっていた可能性がある。
君:続いては古語辞典のお出ましね。
私:勿論、その通り。お察しの良いお方には書くまでも無いが、蘇我馬子、小野妹子等のお話になる。「おほ大」に対する「こ小」、「おや親・租・於夜」に対する「こ子」の関係に鑑み、大変な複雑な議論になってしまう。ここはひとつ、バッサリと内容を切り捨てて、人名の話に絞る事にしよう。出典は角川古語大辞典第二巻。
君:一拍語「こ子」は代表的な和語よね。
私:うん、最重要単語だ。一拍語は身体表現に多い。め目、は歯、ち乳、せ背、ち血、を尾。親の対の言葉なので、親から生まれた者、との記載だが、これがいただけないね。親から生まれない子はいない。親もかつては子だった。つまりは子から子が生まれる。従って親から子が生まれるという言葉は矛盾している。英語のチャイルドの語源は膨らむ・成長する・大きくなるという意味から来ている。合理的に解釈できる。
君:記歌謡では「こ子」は人以外にタケノコ等にも用いられているわよ。
私:うん。万葉集には人の意味での例が多数、みられるようになる。白銀も黄金も玉もなにせむに。
君:以上は一般名詞ね。
私:その通り。でも同時代にすぐに接尾語「こ子」が出現する。男女問わず、親愛の情を示す言葉。「わがせこ我背子」「わぎもこ我妹子」。変わった意味では職業集団中の個人を意味する言葉が出現した。「たこ田子」「ふなこ舟子」「かこ水子」。
君:「舟子」と「水子」の違いは。
私:前者は乗組員全体、後者は「か(かぢ)」を操る人で、舟子の中のひとりだけ。
君:全員が男性ね。
私:勿論。
君:人名につける「こ子」は最初は男性から始まったのかしら。
私:勿論。「妹子」「馬子」「内侍中臣(ないしなかとみ)のふさ子(竹取)」等。ただし、後世には女子名に用いる事が多くなる。きっかけは嵯峨天皇。内親王に「子」で名づけ、臣籍降下した皇女には「姫」とした事がきっかけ。後には平安貴族の女性は全員が「子」を名乗るようになり、これが現代に至るまで脈々と生き続けている。
君:私の名前のきっかけは嵯峨天皇だったのね。
私:うん、そしてここに敬意逓減の法則が働いてしまう。近世語としては「子」は年長者が若い娘を示す一般語となり「あの子」、つまりは尊敬・畏敬の意味はなくなっている。あるいは遊里の芸娼妓を示すようにもなる。また、例えば「江戸っ子、売れっ子」のように近世・近代語で男女を問わず再び人全般を意味するような意味も生まれ、原点回帰している言葉だね。
君:富山と大分の方言に「こ」があるのは上古の言葉が延々と語り継がれて来たかしらね。
私:さあ、どうなんだろう。可能性は少ないだろうね。僕の大胆な推察は「こう公」の短呼化ではないだろうか。これは近世語で、親愛の意味でも軽蔑の意味でも用いられる。「忠犬ハチ公、エテ公」。
君:ほほほ、教師も生徒から先公呼ばわりされてはおしまいね。
私:それは僕も同じ。ははは
君:ほほほ、ところで近世語で男子は「こう公」で、女子は「ばう坊」だわね。
私:厳密には「ばう坊」は男女に用いるね。としぼう、は敏雄君の事もあり、敏子さんの事もある。「こう公」は男で決まりだな。
君:つまりは富山方言の近世語で、政こ(政男、政公)があっという間に廃れたという意味なのよね。理由はたったひとつ、政子との混同を嫌って、という事なのだわ。
私:勿論そうだが、実は同音異義語の大切な点、要はアクセントが決め手になるんだよ。えいこ、けいこ、せいこ、これらは女性の名前で中高。アクセントでわかる。ところが、たいこ、はどうだ。
君:泰子と太鼓はアクセントが異なるので分別は容易だし、泰子と太古はアクセントが同じであるものの会話の文脈から分別は容易という意味ね。ほほほ

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