大西佐七のザ・飛騨弁フォーラム 近隣の方言 |
飛騨方言・またじの由来考(金沢・富山・新潟・飛騨の四角関係) |
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私:昨日は北陸の都・金沢の飲み屋街・香林坊のお寿司屋さんのサイトが目に留まり、飛騨方言「またじ」について以下の推察、即ち語源は古語「またし全」、中世辺りに加賀で生まれ、日本海沿岸ルートで新潟まで伝わり、金沢から飛騨へはおそらく庄川経由で入って来た言葉であろう、と論述した。裏日本限定の言葉であり、伝搬形式はおそらく地を這うような形であろうし、仮に明治時代までそれが続いたと仮定すると金沢・新潟の距離が500キロ余である事から約、五世紀ほどかかったのでは、とも推察した。 君:本日は、十数年前に書いた「飛騨方言・またじの由来考(金沢・富山・飛騨の三角関係)」を読み直して、あれれっ、と思ってしまったのね。 私:当時の自分だが、古語辞典にある言葉、それらは多くが平安文学の言葉だが、平安期は飛騨工が京と飛騨の一年ごとの出張、その延べ人数は数万、を繰り返していたから、つまりは飛騨方言の語彙は平安文学に有る言葉ならば全て都直輸入であろう、というような凝り固まった考えでいたんだよ。ひとつの可能性ではあるが、やはり論理が粗削りかな。少し、反省している。新潟に「またじ」が存在する事を知ったのも最近、というか日本方言大辞典全三巻を買い求め、書斎にて気軽に検索できるようになったから。石川・富山・新潟で話される言葉なら、金沢に始まり新潟まで伝わったと考えるほうが極めて自然だ。それに当時の僕は方言学の勉強を始めたばかりだった。日本には二つの大方言境界、ひとつは白山(はくさん)連峰ともうひとつは飛騨山脈、これがあるから、金沢の言葉は白山にブロックされて飛騨に伝わりようが無いし、信州の言葉は飛騨山脈にブロックされて飛騨に伝わりようが無い、と信じ込んでいた。 君:白山スーパー林道には集落はひとつも無いわよ。言葉が白山を乗り越える事は確かに有り得ないわね。 私:でも、金沢で生まれた「またじ」という言葉は、おそらく庄川を遡って飛騨に伝わったのだろうね。庄川流域は正に秘境だし、現代においては沢山のダムがあり、集落が皆無に近い。ダムが出来る前は小さな集落が沢山あった事は間違いない。隣の村どうしならば婚姻圏だったのだろうし、生活圏の重なりもあったでしょう。そうやって富山県の砺波平野、南砺市、からゆっくりとゆっくりと庄川を言葉は遡り、五箇山を超え、飛騨白川郷に至り、東洋一のロックフィルダム・御母衣(みぼろ)ダムの湖底に今は沈んでしまっている無数の村々を伝い、荘川に至り、小鳥(おどり)川水系に到達し、後は目指せ高山というところか、あるいは飛騨全体に言葉が広がったのだろうね。 君:確かにね。いかにも有りそうな話。 私:僕がそう考えざるを得ないたったひとつの理由がある。 君:まさか、突然に方言の神様とご対面できたレベルのお話かしら。 私:その通り。 君:どういう事。 私:「またじ(片づけ)」と言う言葉は単独でも用いられるが、実際の用法としては「ゆきまたじ」だけ。雪かきの事だ。まれに後片付けの意味で「あとまたじ」も用いる。「またじ」単独でも用いられるが、実は「ゆきまたじ」という言葉から分離して「またじ」が片づけ全般を示すようになったのじゃないかな。これが言いたい事の全て。ちなみに「ゆきまたじ」は飛騨の俚言だ。飛騨に生まれ育った人でこの言葉を知らない人はいないし、ラインスタンプでも超人気の言葉といってもいい。地球温暖化で高山市でも昔ほどは降らなくなってしまったが、私が子供のころ、昭和三十年代だが、村は嫌と言うほど雪が降った。従って「ゆきまたじ」は大切な生活語彙だったというわけ。私の村は旧高山市の南隣の村で太平洋側だが、実は市と村を隔てる我が家の裏山は日本列島を表裏に分断する大分水嶺。つまり僕は日本の屋根の天辺に住んでいた。 君:でも、ほほほ、私も飛騨の生まれ育ちだし、神岡がどんなに雪深いかも知っているからわかるけど、全国の皆様にはもう少し判り易くご説明なさったほうがいいわよ。 私:なるほどそうだね。飛騨をひとことで表現すると、兎に角、ひろい、ひろい、ひろい。高山市の面積は全国の市町村の中でも堂々たる第一位。その高山市に面積で負けず劣らじ、高山市の北に隣接する飛騨市、西に隣接する白川村、南に隣接する下呂市、つまり三市一村が飛騨。ただし文化はひとつ、そして方言も。各々の村々での言葉の微妙な違いなど些末な事だ。飛騨地方には飛騨方言というたったひとつの言語があり、独自の文法体系があり、土田辞書に代表される約一万の共通語彙がある。ただし・・・気候となるとガラリと話が変わって来る。つまりは飛騨は日本列島の大分水嶺で、即ちど真ん中で真っ二つに分かれているんだ。飛騨の北半分は裏日本気候で南半分は表日本気候。つまり高山市界隈以北は日本海式気候で冬は豪雪地帯だ。最悪なのが富山県境の辺りで、飛騨白川郷、神岡、上宝、北アルプスの平湯温泉あたりの積雪はシベリア並みと言える。その一方、南半分は表日本、つまりは太平洋式気候で、南の中心たる下呂温泉界隈はほとんど雪が降らない地域。だから「ゆきまたじ」と言えば飛騨地方でも北側の人達にとっては切実なる生活語彙だか、下呂では全く生活には関係が無い言葉なんだ。言いたい事はわかるよね。 君:ええ。「雪またじ」は広い飛騨でも北の地域だけの生活語彙で、飛騨の南ではそもそも話す機会が無いのよね。 私:うん。その事は学校の体育授業に如実に表れる。スキーは飛騨の北側の学校だけでの教科。言い換えると飛騨の北側はスキー場の南限です。白樺の生息域もそう。生息するのは飛騨の北側半分と北アルプス、白山。飛騨の南には白樺は一切、無い。 君:日本海の地方の人々は雪かきが大変ね。つまりはあなたが金沢から富山経由で「ゆきのまたじ」の形で言葉が伝わったと推定する根拠。 私:その通り。方言エンタメサイトだから、何を書いても許されるだろう。「ゆきまたじ」は飛騨の俚言だ。つまりは富山県の砺波平野では「ゆきのまたじは大変だ」とおっしゃっていたのだろうが、これが日本屈指の豪雪地帯・飛騨白川郷に伝わり、なんといきなり「ゆきまたじ」という俚言が誕生したのだろう。その後に飛騨では「ゆきまたじ」は「ゆき」を「またじ」する事、と認識されるようになり、飛騨では「かたづけ」を「またじ」という独立語、つまりはご先祖様たる加賀の言葉「またじ」、で使用するようになったのじゃないかい。その後に出来た言葉が「あとまたじ(後片付け)」という言葉なんだろう。 君:ほほほ、俚言だから、飛騨に生まれ飛騨に育ったあなたが感ずる事が実は答え。つまりは言いたい放題という事ね。 私:僕なりに妙に納得できてしまって、なんだか楽しい気分だ。常識にとらわれるな。俚言「ゆきまたじ」から独立語「またじ」が出来て、そして複合語「あとまたじ」が出来た可能性がある、がはは。少し、真面目な話で締めくくろう。「ゆきかき」の古語は何か、わかるかな。 君:残念、わからないわ。 私:ははは、角川古語大辞典全五巻の「ゆき〜」を全部、見た。答えは「ゆきそけ雪退」。「雪そけに六角堂のながめ物」京童跡追(きょうわらべあとおい)四。1671年(寛文11)。日葡辞書にも、明治の辞書、言海には何も記載が無い。大言海(昭和31,1956)には「雪かき」がある。つまりは「ゆきかき」は昭和の言葉。 君:「そく退」他カ下二だったのね。万葉3832。枳 蕀原苅除曽氣 倉将立 屎遠麻礼 櫛造刀自。曽氣が退の命令形。それと前に言ってたわね。「ゆき」の方言量は1。つまりは上代から「ゆきそけ」、そして昭和に「ゆきかき」かしら・・? |
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