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大西佐七のザ・飛騨弁フォーラム

またじ(かたづけ)-2

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私:片づけの事を飛騨方言で「またじ」と言うが、語源についは「またし全」形クであろう、と記載した。
君:まさか、何か発見があって語源について説を変更なさるおつもりとか。
私:結論から言おう。この二日ほど、あれこれ調べたり、考え詰めた結果、やはり「またじ(片づけ)」の語源はク活用形容詞「またし全」に間違いないであろう、という事だ。つまりは、これだけ理論補強しました、という事をお話ししたい。
君:では、手短にお願いね。
私:先ずはアクセントから。「またじ」は三拍にて平板アクセントだが、実はNHK日本語発音アクセント新辞典に「まったし全」の記載があり、「た」がアクセント核、つまりは起伏形容詞。つまりは飛騨方言「またじ」と古語「まったし全」はピタリとアクセントが一致する。
君:なるほど。でもそれだけでは万人がご納得なさらないかも。
私:意味の点から考えてみよう。「またじ」は「かたづけ」という意味。お片付けが好きな人も嫌いな人もいる。この点からも意味はピタリと一致するんだ。
君:ほほほ、なるほど。形容詞のク活用とシク活用の違いね。
私:その通り。両活用の違いについてはク活用・シク活用をご参考までに。つまりはク活用である以上、古語「まったし全」は状態形容詞。繰り返しになるが万人が片づけを好き、あるいは逆に万人が嫌いだとすればシク活用たる感情形容詞が語源であるべきであろうが、実際には片づけが好きな人も嫌いな人もいる。従って状態形容詞が語源と考える事に何ら問題は無いでしょう。
君:ほほほ、でも「らうたし」は形クだわよ。
私:また逆に「くさし臭」「きたなし汚」も形クだ。感情形容詞・状態形容詞での論述は一般論という事で勘弁してね。
君:勿論よ。なかなか一筋縄ではいかないところが国語の魅力なのだし。
私:では続いては「またじ」が何かの動詞が語源かどうか、という事を考えてみよう。たった一字違いで「まわし回」というギア方言の名詞がある。これも「準備・根回し」というような意味の言葉で語源は「まはす回」他サ四である事は書かずもがな。つまりは連用形「まはし」が語源。この論法でいくと「またじ」の語源となるべき「またず」という古語動詞が存在していたか、という事を検証してみた。
君:検証するって?
私:これも或いは異論がありましょうが、私なりの一つのものの考え方という事で。ところで大学入試で数学は楽勝だったかい?
君:嫌な事を聞かないで。数学が大好きなら理系を受験していたわよ。
私:ちょっとしたテクニックという事だが、何々を証明せよ、という形式の問題も多かったでしょう。このような問題の場合は背理法を用いてたちまちに解法が導かれる事がほとんど。例えば「何々が真(或いは逆に、偽)である事を証明せよ」という問題の場合、「若し何々が偽(或いは逆に、真)であると仮定すると矛盾が生ずる」という事を証明すればいい。無理数(三角関数)や複素数(ヒルベルト空間)の問題など、問題を見た瞬間に答えが導かれようというもの。だから背理法を使ってこの方言問題を解いてみよう。若し仮に「またず」或いは音韻がそれに近い古語動詞が存在していたと仮定すると現代語では「〜ずる」あるいは「〜する」という動詞、多くはサ変動詞でしょうが、このような該当動詞がみつかるはず。そこで大修館書房・日本語逆引き辞典を用いて該当する動詞が無いかみた。候補は266個の動詞だが、そのなかに実は方言の神様とのご対面の瞬間、「まっとうする」があった。残りの265個の動詞は無関係だった。直ちに各種の語源辞典を見たが、名詞「まったう全」の語源は「まったし全」との記載。「またし全」+「ず不・むず・んず・うず」に近い音韻の動詞が日本語には存在しない事も証明されたし、266個のサ変動詞その他のなかで唯一「まっとうする」が語源候補、というか解答そのものであったが、「キチンと片づけをする」という意味でピタリと一致する。
君:なるほどね。「またじをする」と「まっとうする」は同根に間違いないわね。
私:そうだね。間違いない。「またし全」という形容詞があって、ひとつは「またしょうす」という事でウ音便形容詞を語幹とするサ変動詞になった。「またしょうす」から「またしをす」と言うようになった。つまりは格助詞「を」が挿入された時点で「またし全」形クの二拍の語幹が「またし」という三拍の体言になった。つまりは品詞の転成が生じたんだよ。そして「またし」が濁音化して「またじ」になった。「まっとうする」の場合はやや複雑だね。「またし」連用形から「またしく」、つまりは「まったく全」という副詞句が生まれたのだろう。「まったく」これもウ音便化して「まったう」と言われるようになり、狂言「まったう全」という副詞句になったのが室町。「まっとう全」浮世風呂で名詞として登場した後は現代語に至るというわけだ。
君:「またじ」は飛騨の俚言じゃない事から明らか、やはり語源は古語「またし全」で決まりだったのよね。
私:正にその通り。「またじ」が話される地方は限定的で石川県・富山県・新潟県と飛騨のみだ。「またじ」は富山県から飛騨に伝わった言葉に違いない。尾張方言に「またじ」は存在しない。もっとも富山では「またい」、つまりは富山から飛騨に「またじ」が伝搬した後に富山では「またじ」から「またい」への音韻変化が生じたらしいね。つまりは「またじ」は京の都の方角を起点として日本海側の海岸線を地を這うようにして越後まで伝搬していったのだろう。ところが越後から羽前・羽後に伝わらなかった。これにはたったひとつの理由がある。ふふふ
君:あら、自信たっぷりな言い方。あなた一流の妄想ね。
私:ははは、何とでも言ってくれ。たったひとつの理由とは明治時代になってしまったからだ。明治になると国策として日本語の統一、方言の禁止、つまりは「またじ」という言葉は話してはならない言葉になった。だから新潟県から山形県に「またじ」は伝わらなかったという事じゃないかと思う。ところで方言の伝わるスピード、知ってるよね。
君:ええ、何回もこのサイトに出てきたわ。一年に1km、つまりは一世紀で約100km。
私:今、グーグルマップで京都市と新潟市の徒歩距離を調べた。529キロだった。つまりは京の都で「またじ」が出来たとなると五世紀かかって越後に到達した事になる。明治元年が1872年だから、「またじ」は京都で1372年辺りに出来たのかもしれない。京都市と金沢市の徒歩距離は223キロ。意外と近いね。つまりは「またじ」が香林坊を通過したのは1572年辺り、どうも安土桃山時代らしいね。
君:京都で「またじ」の言葉が出来たのでは、という前提がそもそもおかしいわよ。京の都で出来たのなら方言周圏論的には全国に散らばるはず。だから北陸・日本海側のどこかの地方で、多分、石川県でと考えるべきだわ。でも明治になってピタリと方言の伝搬がなくなったという仮説はいかにも有りそうなお話ね。
私:福井県、石川県は形容詞でウ音便の地方だった。ずばり、結論を言おう。既述の如く金沢市と新潟市の徒歩距離は306キロだ。つまり三世紀の差。君と同じく大西の推論は「またじ」は北陸の都・金沢辺りで1572年辺りに生まれた言葉に違いない。そして金沢と高山の徒歩距離は114キロ。意外と近いね。つまりは金沢方言「またじ」は新潟より二世紀も早く1672年辺りに飛騨の高山に到達したのだろう。ルートは書かずもがな、南砺市から庄川を遡り目指せ飛騨白川郷、あとは荘川・清見経由で金沢の「またじ」が一世紀かかって飛騨の高山へご到着というわけだ。
君:どうしてそこまで言い切る事ができるわけ。貴方、頭がどうかしているわよ。「はやく」ではなく「おはよう」と挨拶するでしょ。全国でウ音便なのよ。太平洋ルートは?
私:ウ音便だけなら太平洋ルートも有り得るわけだが、名古屋方言に「またじ」は無い。「またじ」はどう考えても裏日本の言葉なんだよ。更には「またじ」が香林坊で生まれた可能性がある。これについては、ひとつの根拠をお示ししよう。ネット発信だが、香林寿司様のサイトの文例に「あいつぁ、またじせんさかいに、机が汚なて、どんならん」。
君:なるほど、これは有力情報ね。目指せ日本一の方言エンタメサイトの面目躍如といったところかしら。学問的にはいざ知らず。

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