飛騨方言のサ変動詞は、せる、と言うのですが、
その語源について、名古屋方言に由来するのではないかと言う事を
第一報・金田一春彦著、日本語方言の研究、東京堂出版
で少しばかり紹介しました。
私は金田一氏の説を全面的に支持しますが、
ただ教条的な事を書いても多くの読者の皆様の賛同は
得られないでしょう。佐七がわざわざキーボードに向かうのは
実は本日、早速にそれなりの新情報を得たからです。
前置きはさておき、いつもの散文調で申し訳ありません。
さて飛騨に生まれ育った人間ならば自分が話す方言の
語源を知りたい、と思うのは人情というものでしょう。
事実、何故サ変動詞・する、を飛騨では、せる、というのか
私は一年ほど考えていたのです。
古語辞典を調べてもヒントは得られません。
また手元の小学館の標準語引き日本方言辞典には、
なんと、する・おこなう、の項目が無いのです。
言い換えましょう、全国広しと言えど飛騨の人間しか話さない奇怪な言葉・せる。
つまりはこれらの情報からは、せる、は飛騨俚言と考えたくなってしまいます。
俚言というのは地域に特有な言葉ですから、
その語源は誰も教えてくれません。
自力で考え出すしかありません。
ところが若し全国にまたがる方言になりますと、途端に
話が楽になります。古語に由来する言葉である事が決定的だからです。
古語辞典の思いつく候補者の複数単語を吟味していけば、自然に答えは
見えてきます。
あるいはネット検索をするとどなたかが既に記事を書いてお見えの事も
多いのです。方言学の書を買い求めると、既に記載されている事も
多いのです。
さて、金田一先生は上記自著で、名古屋あたりでは、サ変動詞で、せる・せん、というから
この辺の訛りとでもいうのでしょう、と書いておられます。
つまり、飛騨俚言じゃないよ、と私に教えてくださったのです。
本日はこれにおおいに勇気付けられて、つまりはサ変動詞・せる、は飛騨だけではないであろう、
との裏づけをするためにあれこれネット検索をした話です。
現代語の名古屋方言で、せる・せん、というのかと言う事を
ネット検索してみました。
まずは、およそ数十ある名古屋方言のサイトの文例を片っ端からみました。
ところが該当文例はゼロ、いきなり大本命に振られた佐七でした。
がしかしものは考えよう、つまりはやはり金田一先生の時代はいざ知らず、
現在は名古屋においては、せる、などとは決して言わないのですよね。
それでも昔は、といっても佐七の感覚では江戸時代、
尾張では、せる、と言っていたのでは、
という考えをどうにも諦めきれません。
つまりは絶対に諦めない。如何にも佐七、この子等(名古屋方言サイト)が駄目ならどの子にしよう。
ええい話が回りくどいので結論、つまりは死ぬほど惚れてしまったサイト、をお披露目しましょう。
つまり名古屋方言サイトにお知恵を拝借する作戦に失敗した佐七は
いきなりウルトラシーの技でネットに勝負をしたのです。
つまりは、飛騨方言サ変動詞・せる、を用いた慣用句で
チョイ長めのやつやさ、四拍で"そうせりゃ"。
飛騨方言の言い回し"そうせりゃ"とは、そうすれば、と言う意味です。
そうせるや、が訛って出来た言葉でしょうね。
そしてグーグルで検索をかけると、
まずは、ザ・飛騨弁フォーラムの過去記事がヒットした事にゃあ
笑ってまったが、続いてなんと、
新城市(愛知県の市、豊橋の奥座敷、しんしろ)の、
"新城が最高! PART61"というBBSがヒットしたのです。
ネット名のんぽい様の
あとはぐぐってもらやあどさまく(約75,400件)もあるで、適当に見ておくれん。
そうせりゃあ立派な“新城通”になれるでね。
・・・・などと言いつつカキコ3連発(汗
の記載があります。もう明らかですね。
新城では、飛騨と同じサ変動詞・せる、なのです。
これが言いたい、古くは尾張方言であったのであろうサ変動詞・せる、
が飛騨川を遡上し飛騨方言となり、豊川を遡上して
新城方言となり、現代に語り継がれている可能性が
ありましょう。しゃみしゃっきり。
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