大西佐七のザ・飛騨弁フォーラム 言霊

やきば・飛騨人の言霊思想

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犯罪というものとはおよ無縁の平和な大西村ですから、 警察が来るぞという会話すら忌み言葉になる事を書きました。 そして更なる忌み言葉が、やきば(焼き場○●●)、です。 火葬場を意味するのですが、飛騨全域で使用されているのでしょうか。 K音は堅さ、強さ、乾きの語感が清音中で最大の辛口の音ですし、 そしてきば、という音は牙を容易に連想させますから、 なるほど火葬場=飛騨方言やきば、は言い得て妙、忌み言葉に ふさわしい響きを持っています。尚、飛騨には土葬の風習が無い事は書かずもがな。

筆者の村のやきばは村はずれで各戸からは直接見えぬ、少し谷に入った場所にありました。 山の中腹十メートル程のところにうっそうとした木々に囲まれて 私は今まで一度も行った事がありません。 子供ですから遊ぶのが仕事ですが、やきばの近くだけは怖くて近寄れなかったのです。 熊野神社の境内などは、神様を恐れるわけで無し、社殿の縁の下で うすばかげろうとよく戯れたものです。 鎮守の森という位ですから村人を守ってくれる 神様は畏敬こそすれ、怖くも何ともないという訳です。

やきば、には片や死神様。今でも決して忘れられないのが 小学校入学前だった頃、五、六学年上の確か中学生の生徒が病死した事です。 彼は足が痛かったのを親にだまっていたらしいのですが、 ついに町の病院で診てもらった時はすでに病状は進行しており、 入院してしばらくの後、亡くなれました。村のご自宅の葬式に続く 野辺の送りの行列の後尾に私はついていったものの怖くて引き返しました。 今思えば骨肉種だったのでしょう、有り得る事です。

さて、やけど、は飛騨方言で、やきび、です。 佐七がやきびをする事は良くある事、笑って誤魔化します。 また旧高山市に編入され、村民は高山市民と呼ばれる身分になりましたが、 つい一年程前までは、やくば・役場、のお世話になっていたのです。 佐七は、やきび・やくば、の二語に何の感慨もありません。

話戻っていずれ小生もお世話にならねばならぬ、やきば、ですが、 この言葉は悲しい、どうしようもない気持ちになりますね。 ところが意味が判っているにも関わらず フューネラルホーム、メモリアルパークという言葉で なにか浮き浮きとした気持ちにすらなってしまうというのは 何故でしょう。 言霊思想というものがあるという事を実感します。

火葬場の意味のお国言葉はというネット方言情報は皆無に近いと言えます。 当サイトも続稿はないでしょう。 そしゃ楽しい言霊を一発、おそがい( =怖ろしい )話はしゃみしゃっきり。

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