大西佐七のザ・飛騨弁フォーラム 言霊

朝の朝日村、夕の大西村・飛騨人の言霊思想

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小生の大西村の東隣に朝日村があります。 飛騨地方で朝日といえば、これはもう旧大野郡朝日村を示す言葉で決まりです。 平成の大合併で村は高山市朝日町と改まりましたが、 どうにもしっくりきません。村が突然ににぎやかになったわけで無し、 鄙びた村です。

さてネット検索しますとやはり、 朝日村、朝日町、旭村、旭日村、朝陽村、等々きりがないのですが とにかく沢山の地名がヒットします。 問題はなぜこんなありふれた地名が飛騨人にとって言霊なのか、 という事ですが、早速に佐七節の始まりです。

名にし負はば敷島の国の朝日村等よ、 おそらくどの村も その地方で東端に位置し、 日の出が早く、 朝日が絶景なのでしょうね。 そして飛騨の朝日村ですが、確かに飛騨地方の東端です。 がしかし大乗鞍岳の山麓、谷あいのこの村は どう考えてみても日の出の刻だけは全国のアサヒ村の中で最も遅いのでは ないでしょうか。大乗鞍岳の西側にへばりついているためです。

ですから村人がどうして村の名を朝日というようになったのか あれこれどうしても私に考えさせてしまう地名なのです。 ★ひとつには、どんなに全国一日の出が遅いこのような村でも それでもお天道様がきちんと毎日上って来るありがたい朝日である事よ、 というお気持ちだったのでしょうか。 ★日の出が遅い事は地勢上、仕方の無い事、変更不可能で ある事なのでせめて名前だけでもパーッと景気良くいきましょう、 という事で朝日村ですか。 ★あるいはそんな朝日村の朝日でも、実は季節により 大乗鞍と大御岳との間から出てくる朝日であり、 それは雄大であるから、やはり朝日村から眺める 朝日は美しすぎるという事でしょうか。 ★飛騨の村々はすべて乗鞍の西にある、つまりは朝日を 拝むと言う事は乗鞍を拝む事、つまりは皆が実は朝日村 の方向に向かって拝んでいるのです。つまりは朝日村は 飛騨の村々のなかでも日出ずる所の村、そして朝日村 以外は日没する所の村という訳です。

実は久々野町大西という地名について 小生は最大の関心がありました。 自身の出身ですから当たり前の事ですね。 実は日没する所の村なので大西つまりは The Great West 大いなる西の端という意味ではないかと筆者なりに考えます。

乗鞍岳は少し小高い飛騨の里山の頂上なら仰ぎ見る事ができるのですが、 飛騨全体が山深いので実は乗鞍岳を眺められる里というのは限られています。 飛騨川源流(地元では益田川)が東西に流れる部分のほんの一部の村々のみです。 朝日村は灯台下暗しで実は乗鞍がよく見えません。 という事ですが益田川は朝日村中央をまっすぐにひたすら西に流れます。 そしてこの東西の直線部分流れの西端がズバリ久々野町大西という村なのです。 この大川は中央分水嶺と 伴行するもののやがて数百メートルにまで大接近して、 大西峠の所で突然に直角に左折し南飛騨へと大方向転換し、 やがて太平洋へと注ぎます。

折角ですから佐七が乗鞍岳に生まれて初めて登った時の 感激をお披露目しましょう。 小一の時、四十五年ほど前だったかな、 早朝に起きて我が家にあったトラックに家族全員と ご招待のお客さんが乗りました。 何時間かして何とか畳平に到着、後は剣が峰までひたすら歩きです。 天気は快晴、日本中が見渡せる快感というのはこういう事を言うのでしょう。 剣が峰から眼下に大西村がはっきりと見えた感動を今でも忘れる事はできません。 そしてお昼ご飯、つまりお握りでしたが、これをどういうわけか 落としちゃったらあっという間に見えなくなったんですよ、後の祭り。

日の出が全国一遅くて完全に名前負けの朝日村は悲しかり、渋民村は恋しかり・・ そして北アルプス全体、乗鞍岳が真っ赤に染まる大西村の夕景は 天下一であると記載しておきましょう。 その朱に染まる乗鞍を白山の影が覆うのが飛騨の国の夜のとばりであるとお伝えしましょう。 どちらにしても、朝日と大西、間違いなく飛騨の言霊です。 ここにお住みのご先祖様方はよくお考えになったものですね。

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