大西佐七のザ・飛騨弁フォーラム しびれる言葉

飛騨の大祭(たいさい)

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飛騨をご存じない全国の皆様へ、簡単な飛騨の民俗学、お祭り、のお話を今日もチョッピリお書きしましょう。飛騨地方は宗教と言えば仏教、浄土真宗大谷派が最も多い地方で、北陸・東海地方と同じ傾向です。また神社信仰も厚く、石川県と同じく白山(はくさん)信仰が盛んですし、何と言っても御岳(おんたけ)信仰の地方と言ってもよいでしょうね。木曽の御岳として全国的に知られていますが、実は下呂市のおらが裏山でもあるのです。本日は高山市一ノ宮町の水無(みなし)神社の飛騨の大祭(たいさい)に絞ってお話ししましょう。

飛騨の大祭については公式サイトの通りです。ポスターには「おおまつり」と明記されていますが、真意を測りかねています。ご冗談を、正しくは「たいさい」です。お忙しい方の為に、ひとことで説明しましょう。水無神社は飛騨の数多くの神社の中でも別格の存在で、飛騨の全ての神社の総本部として位置されるお立場なのです。ここ水無神社では例年のお祭りが当然ながら開催されますが、それとは別に実は50年に一度、飛騨中の神社の神輿がここ水無神社に一堂に会する、つまりは飛騨中の神社の神様達が半世紀に一度、水無神社の神様にご挨拶に会するというお祭り、例えば水無神社が江戸幕府ならば他の神様達全ては諸大名というわけで、さながら参勤交代のようなお祭りです。祭りは数日に及ぶ日程となります。

「大祭」は半世紀に一度のお祭りですから、誰にとっても一生に一度、あるいは運が良ければ二度しかないお祭りなのです。私の思い出は昭和35年の大祭、当時の私は7歳の小学生でした。私は出身が水無神社の隣村、旧大野郡久々野町大西、にて亡き祖父に連れられ歩いて見物に行った事が昨日の事のように思い出されます。祖父が私に『一生に一度の祭りじゃで、忘れんようにちゃんと見とくんじゃでな。』と言ってくれた事もよく覚えています。実は貴重な映像が残っていました。

萩原町奥田洞(上呂の隣村)八幡神社の映像に思わず心臓が止まりそうになりました。覚えがあるのです。いったい、私の心には故里の思い出がどれだけつまっているのでしょう。

公式サイトの通りですが実は三年前、2017/5/3-6 に大祭があったのですね。つい先ほどまで知らなかったのです。お祭り好きの私ですから懐かしさのあまり、本業たる診療所を休診にしてでも観光していたのかもしれませんが、・・先ほどまで知らなくて寧ろ良かったのかも、と自分自身を慰めています。実は私事で恐縮ですが、別稿・そうか、もう君はいないのかにお書きした通りですが、同年 2017/02/15 耳鼻科医の家内が診療中に突然の大動脈解離、当日に深夜に及ぶ大手術にて奇跡的に助かったのは良かったものの、それからの数か月、本当に大変な思いをしてしまいました。

本業の内科の仕事をしつつ、押し寄せる家内の耳鼻科の患者様の他院への紹介状を書き続け、二十名近くいた職員のひとりひとりに退職・再就職の世話をしつつ、病床の家内を早朝・昼休み・深夜に見舞う生活が延々と続き、共に医師の二人の娘の助けがあったからこそ私も過労死せずに済みました。深夜にひとり床につくといつも両目が大汗をかいていました。

時は流れ、三年を経た今、こうやってのんびりと原稿を書けるまでに私の日常は平和な日々になりつつあります。神仏にどれだけ感謝してもし尽くす事が出来ません。可児市の皆様へ、おかげ様で家内は命が助かり、いたって元気なのですが、立ち仕事が無理で、まだ静養の生活が続いています。お許しくださいませ。ところで、この間に孫が三人生まれていて、今は彼らが私の唯一の生き甲斐といっても良いかも。16年後の初孫の大学生の姿がこの世の見納めになれば本望です。2017/5/3-6 の大祭の観光のチャンスが無かったものの、私の心の中には7歳の思い出が残っていますし、あまつさえ、本日はその動画すら鑑賞する事が出来て、私は本当に幸せです。

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