大西佐七のザ・飛騨弁フォーラム 飛騨の迷信・言い伝え

ごんぼだね

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飛騨方言で、根を食用に供するキク科の越年草ごぼう・牛蒡の事を、 ごんぼ、と言いますので、ごんぼだね、とは、ごぼうの種、という 意味ですが、実はとんでもない別の意味があるようです。

誰それさんはゴンボタネだ、という噂がたつと言う事は、 そのうわさの方が中々治りにくい精神病、あるいは不治の病にとりつかれて しまっている、という意味なのです。 また、その方が別の人に何らかの形で接すると、こんどは その疫病神が伝染し、そして当人はゴンボタネの疫病神から逃れられる、 と信じられているのでとにもかくにも残酷無慈悲な迷信です。

二十一世紀の今の時代に、まさか未だに無くなっていない因習では なかろうと信じたいのですが、土田吉左衛門・飛騨のことば、には記載があります。 戦前には信じられていた迷信なのでしょうね。

ゴンボタネの迷信の本場はなんといっても上宝村だったそうです。 土田氏著には、この迷信が徐々に国府町の方に広まった、との記載があります。 ところで先月2007年8月10日に ちくま文庫、柳田國男集 幽瞑談、が出版されました。その一節が、 池袋の石打と飛騨の牛蒡種・ごんぼだね。 ご興味ある方はご一読あれ。これ以外にも全国各地の怪談話が満載の書です。

さて柳田民俗学には全くの記載のないジャンルがありますが、 例えば現在も放送禁止用語などになっているものが含まれます。 後はご想像にお任せしますが、大西佐七も当サイトにおいてはそれらは 一切、題材としません。筆者は柳田國男を崇拝します。 ところで、柳田先生は迷信・怪談話が大好きであったようで、 キチンと記述をしていらっしゃいます。 なんとも早、名誉な限りの飛騨の迷信・ごんぼだね。 ですが、ごんぼだねと言われた当人にとっては残酷極まりない言葉です。

さて八月のごんぼだね、は何といってもサッカーボールにのろわれた朝小竜 でしょうか。可哀想に。 また防衛省を去った大池さんも可哀想に携帯にのろわれたごんぼだねでしょうか。 否、とんでもない。 サッカーボールも携帯も何の意志もない単なる物です。 ですから何の罪もありません。 朝小竜も大池さんもごんぼだねではありません。筆者は迷信は信じません。

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