飛騨方言では、かみなり、は、かんなり、です。
さて、かみなり、の語源ですが、神さまが鳴る天の声、という意味でしょう。
但し、飛騨方言では神棚を、かんだな、とはいいません。飛騨方言では神様を、かんさま、とはいいません。
また勿論のことですが、かみなり様、は飛騨方言では、かんなり様、といいます。
何故飛騨方言では"かみなり"が"かんなり"なのか、はやい話が撥音便でただ訛っただけ、ひょっとしたら飛騨のひと達は
・・・・・情けなや、かみなり、が実は言いにくかった。。。。。。
でもちょっと待ってください。つまりは、かん、の語感は、かん高い、を連想させ、またカンにさわる、という事でもありましょう。
だから、飛騨のひと達は、かん高くカンにさわるかみなりの音をかんなり、に ソフィスティケイト sophisticate させたのです、実は。
さて、飛騨方言では、おとうさま、は、とっつぁま、です。あるいは、おとっつぁま、ともいいましょう。
あるいは、極端に省略して、つぁま、と言えば、普通はおとうさま、を示します。
また飛騨方言では、おかあさま、は、かかさ、かかさま、かかま、おかさま、など各種の呼称があります。
がしかし、かっつぁま、とはいわないようです。
表題ですが、昔から怖いものの代表の "地震、雷、火事、親父" を飛騨方言訳してみました。
つまりは地震、火事、は飛騨方言も共通語と同じです。
さて、とてもこわい親父を、かみなりおやじ、といいます。がしかし、飛騨方言では、かみなりおやじ、を
かんなりとっつぁま、とは言いません。
また、かんなりおやじ、も、かみなりとっつぁま、も飛騨方言にはありません。
やはり飛騨方言でも、かみなりおやじ、は、かみなりおやじ、です。
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