私は旧高山市街地(以下、高山)に近い、山を唯一つ隔てただけ、
だから私の村・現高山市久々野町大字大西(以下、大西)と高山に
言葉の差などあるわけがないし、町の言葉・高山方言と村の言葉・大西方言に
いったい何の違いがあろう、とずうっと思い続けていたのでした。
ところが、生まれも育ちも旧高山市街地、だから純高山方言のある知己から
佐七は、第二人称を、わり、と記載するが、高山方言は、おみ、である、
とメールをもらった時は、ふーむ、はたしてそうかしら、
方言の理解などというものは多分に個人の思い過ごし、勘違いというもの
の影響による、佐七は自信があるからおおかたあいつの
思い過ごしだろう、などと最近まで、ついかってに、考えていたものでした。
それでも資料を集めながら書いていますので、それらの資料によって
徐々ではあるにせよ自分にとっての飛騨方言の謎が埋まりつつあるのを嬉しく思います。
偏った資料からは間違った結論しか出てきません。彼には柳田國男を見習え、といわれる始末。
ネット情報に三福寺(さんぷくじ)の狐の民話があります。
三福寺は高山のはずれです。
また飛騨の民話の出版が幾つかありますが、これが又、
三福寺の狐に関しては、第二人称がすべておみ。
お生まれこそ古川なれどお育ちは純高山の早船千代女史の自伝ですが、
あれこれ出てくるのが、第二人称・おみ。
その書で、小学校時代の教室に、
飛騨方言は悪い言葉だから共通語になおすように、
と言う事で貼ってあった一覧表の事にふれておみえです。
例えば、おみ−>あなた。
うーむ、時代はあまり変わっていないようですね。
私とて、改まった状況では、第二人称・お前、など
使うわけが無い。あなた様と言う事も多いでしょう。
でもいずれ数世紀を待たずして、あなた、も必ず蔑称に
なるのですよね。やれやれ。
前置きが長くなりました。
本題ですが、筆者なりに考えますに、高山ではおみ、その他の飛騨地域では
わりが使用されているのでしょう。
今の所は高山方言と大西方言の違いは
自分と同等あるはそれ以下に対する第二人称の違いのみのようです。
この理由をもって高山に言語島があると言えるのでしょうか。
私の心は揺れ動いています。
|