大西佐七のザ・飛騨弁フォーラム |
いかばる(溢水する) |
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私:表題の飛騨方言だが、どう思う? 君:ラ行動詞という事かしら。 私:その通り。答えだが、土田吉左衛門著「飛騨のことば」には「溝や川へ芥がつまり、または増水によって水が溢れ出る事。水が障害物によって淀み、溢れ湛える事。」との記載がある。文例は「雪のため溝がいかばる」語源はどう思う? 君:見当もつかないわね。「〜張る」かしら。 私:同書には実は同意語の記載もある。「うかばる(下馬瀬)」。 君:なるほど、語源は「浮かばる」、つまりは「う」から「い」への母音交替という訳ね。 私:その通り。実は友人からの情報提供もあった。旧大野郡宮村段、現高山市一ノ宮町段。 君:それにしても、そもそもが日本語として変よね。 私:そうだね。はっきりしている事は自動詞という事だけど。自動詞と言えば自カ四「うく浮」と自バ四「うかぶ浮」だが、この辺から討論しよう。両者の関係は? 君:潜水艦と船の関係よ。一回だけ顔を出すのが「浮く」、顔を出し続けるのが「浮かぶ」。助動詞ハ四「ふ」は四段動詞未然形に付く上代語で、反復、継続、進行などを示すのよ。現代語でも「季節が移ろう」などと言い、時に未然形のア段語尾がオ段に転ずる事があるわね。身近な例としては、和語「たたく」、つまり叩き続けるという意味で「たたかふ戦」という動詞が生まれた、とか。 私:つまりは自カ四「浮く」未然形「浮か」+助動詞ハ四「ふ」未然形「は」+「る」だが、「る」の解釈が問題だね。 君:完了・過去「り」ないし受身・可能・自発「る」のどちらかという事ね。 私:そう。可能性としてはその二つだけ。前者だとすると文語「浮かはり」が口語「浮かはる」になったという意味だし、後者だとすれば、可能動詞という意味になる。 君:「いかばる・うかばる」に可能動詞の意味は無さそうね。 私:その通り。「浮かんでいる」という状態動詞だ。可能動詞じゃない。従って前者でいいという事だね。「浮かんでいる状態が執拗に続くという膠着状態になってしまった」という意味だ。 君:ここは音韻コーナーなので、語源はさておき、どうして「う」が「い」に音韻変化してしまったのか、という疑問ね。 私:その通り。母音の三角形問題では「あ・い・う」は位置は不動、つまりはこの三者間で母音の交替が生ずる事はない。それが日本語。とはいっても「あ・い」の中間にある「え」は「あ」「い」どちらにも音韻変化するし「あい」は「えー」になり易い。同様に「あ・う」の中間に位置する「お」はどちらにも音韻変化するし「あう」は「おー」になり易い。 君:飛騨方言では「あいうえお」が「あいいえお」になるなんてことは無いわよね。 私:無いね。「うお魚」の事を「いお」と言うが、同音衝突は回避される。ところが白川村では「家」は「うえ」。 君:つまりは「家の上」も「上の家」も「うえのうえ」なのね。 私:まさにその通り。「家の上」なのか「上の家」のどちらの意味ですか、という問題だが「家」は明らかに尾高であり、「上」は「上を向く」は平板だが、「机の上に」は尾高。つまりは「うえのうえを」が平板なら「家の上を」で決まり、中高なら「上の家を」で決まり。同様に「うえのうえに」が平板というのは飛騨方言のアクセントとしては有り得ないケース、中高なら「上の家に」で決まり、というところかな。 君:結構、こじつけたわね。同音異義語「うえ家・上」でいいじゃないのよ。 私:そうだね。それすら怪しいものだが。今日のオチは「浮かばれない話」、フライイングしてしまったか。 君:それはさて置いて、他動詞表現はないのかしら。 私:無い様だね。それに「いかばる・うかばる」で判然としない事が、もう一点ある。水を示すのか、水の上のものを示すのか。 君:あら、それは簡単よ。元々は濁流の上にいろんな障害物が浮かんでる状態を示していたのでしょ。つまりは障害物たる「水の上のもの」。それが次第に濁流そのもの、つまりは水そのものを示すようになったのじゃないかしら。 私:なるほど、それが自然だな。それに間瀬地方で「うかばる」と言っていたのが、いつの間にか宮村が「いかばる」と言い出した事もわかるね。 君:表日本である間瀬では流木その他の事を「うかばる」と言い、裏日本の雪深い宮村では積雪などの障害の事を示すようになった事も明白ね。更には、その後に何でもかんでも、要は川や溝が増水する事を示すようになったのでしょうよ。ほほほ |
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