大西佐七のザ・飛騨弁フォーラム |
くすがる(=刺さる)・くすげる(=刺す)の音韻論バトル |
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表題は飛騨方言の五段・下一段動詞対ですが、自他の対応があり、日本語としても直感的に理解しやすいかと思います。「上がる・上げる」「下がる・下げる」「掛かる・掛ける」「繋がる・繋げる」「転がる・転げる」、まだまだありそうですが、きりがないのでこのへんで。日本語には語幹+「が(か)る・げ(け)る」という自他動詞対の語群がある事がわかります。 「くすがる・くすげる」ですが、実は飛騨の俚言ではなく全国各地の方言である事を筆者は昨日に知りました。「くすがる」は、山梨・長野・飛騨・静岡・三河・志摩の方言資料に記載されています。広域方言という事ですね。山梨・長野・静岡と言えば、東条操の方言区画論に出てくるナヤシ方言の地域です。飛騨・三河・志摩は流石に別々の地域という事になりますね。特に飛騨と志摩の関連ですが、地理的にも文化的にも全く関係がありません。どうしてパラパラとあちらこちらの地方で同じ方言「くすがる」が話されているのかという問いに対する合理的な説明は方言孤立変遷論です。つまりは飛騨でも、志摩でも偶然にピッタリと同じ言葉が生まれた、というような奇跡的な事が起きてしまった、という理屈です。 成書にきちんと書かれているわけではないので、筆者の私見という事になりますが、方言孤立変遷論でクリアしなければいけない二つの条件というものがあります。ひとつは古語に由来する共通の長いモーラの祖語の存在、もうひとつは音韻学的な合理性です。 長い共通の祖語の存在とは、古代の飛騨と古代の志摩で長くて同じの言葉が使われていたのであろう、という事です。古い時代に別々の言葉があって、それがたまたま現代において同じ方言になったのでは、と考える事は無理というものでしょう。また二、三拍の和語が方言になる事もほとんど考えられない事です。古代から現代に至るまで、日本中で、ヤマは山、カハは川、アカは赤です。山、川、赤などは全国のどこを探しても方言は見つかりません。方言が生まれやすい言葉は五モーラ以上で音韻として長めの言葉が圧倒的に多く、柳田國男の蝸牛考「かたつむり」が有名ですね。トウモロコシも二百以上の方言があります。「くすがる・くすげる」の語源は何だろう、必ず古語辞典にあるはずとの確信の元、片っ端から探していくまでもなく、「くつがへる・くつがへす」という自他コンビの動詞が思い浮かびます。5モーラもありますので、方言が生まれるのには十分に長い言葉です。この辺のセンスがあれば辞典の確認は数十秒ですが、センスが無くでも大丈夫、要は根気よく辞典を最初から最後まで繰るだけの事ですから。時間さえあれば、というか辞書の虫という情熱さえあれば誰でもできます。 さて音韻変化ですが、筆者の主張は「くつ」+「がへる・がへす」が「くす」+「がる・げる」に音韻変化したのではという事ですが、「くつ」が「くす」に変化したのでは、という部分について、つまりは「つ」が「す」に変化した t-s 子音交替については異論がないでしょう。土田吉左衛門著「飛騨のことば」には紫蘇「シソ(共通語)・チソ(飛騨)」の記載があります。探せばまだあるでしょう。t-s 子音交替の本態は歯茎破裂音(t)が歯茎摩擦音(s)になった、とい意味で、つまりは下の先が歯茎に、くっついているか(t)・わずかに離れているか(s)、という違いであり、要は僅差の舌の動きという事になります。つまりは医学生理学的に考えて、そういう僅差の音韻の変化はいかにもありそうな話(聞き間違えと言い間違え)、という意味です。従って「くつがへる」は容易に「くすがえる」に音韻変化するらしい、という事が分かりました。「がえる」が「がる」という音韻になりうるかという問いに対しても答えはハイですね。母音一個「え」が脱落するだけの事です。従って「くすがえる」は容易に「くすがる」になるのです。何のことはない、「くつがへる」は容易に「くすがる」に音韻変化するのです。日本人の舌がそうなっている、という理屈です。同じ事がたまたま志摩地方と飛騨で生じたのです。 筆者の主張は、以上の音韻変化により、第一段階として「くすがる」という自動詞が誕生したのであろう、という事です。一度、自動詞が出来てしまうと、それの他動詞形も欲しくなるというのが人情というものでしょう。冒頭にお書きしましたように、日本語には語幹+「がる・げる」という自他動詞群という音韻公式があるので、「くすがる」が生まれれば、すぐに「くすげる」という動詞も生まれます。流石に「くつがへす」が「くすげる」に音韻変化した可能性は無いのではないでしょうか。もし有ったと仮定すると、「くつがへす」の「がへ」の2モーラが連母音融合して「ゲ・ゲー」になったのでしょうね。然しながら「くすげす・くすげーす」、どうも日本語として、というか飛騨方言としては奇異な響きです。まるで日本語になっていません。つまりは別なる命題、「す」が「る」になる事があるのか、つまりは日本の方言において s-r 子音交替というものがそもそも存在するのか、興味は尽きませんが、多分、答えはノーでしょう。 以上、長々とお書きしましたが、「くつがへる」を一万回ほど連続して発声してみて舌を疲れさせてやると、いつのまにか「くすがる」になってしまう、というお話なのでした。ところで「くすがる」は中高4拍動詞でアクセント核は「が」にあります。「くつがえる」は現代口語動詞にもなっていますが、これも中高アクセントでアクセント核は「が」です。アクセント核は方言学の音韻において最も重要な情報です。話してなんぼ・聞いてなんぼ、の方言において、アクセント核が移動してしまうと、なにがなんだか、言葉の意味が伝わりにくくなります。筆者としては「くつがえる(共通語)・くすがる(飛騨方言)」の二語ともにアクセント核が同じ位置「が」である事にホッとしています。従って音韻学的にはどう考えてみても「くすがる」の語源は「くつがへる」です。但し、以上はあくまでも私見につき、若し間違っていたらゴメンネ。 |
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