大西佐七のザ・飛騨弁フォーラム・泣ける言葉 |
りょうもらい せつはわかれて おやうちへ 故・岩島周一 元現代水墨画協会評議員 |
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私:夫婦養子、つまりは夫も妻も共に養子の事を飛騨方言では「両もらい」という事を別稿に紹介した。今日は第二弾。 君:俳句ね。季語は「節」、つまりは正月、冬の俳句ね。 私:ああ、出典は岩島周一著「飛騨弁水墨画集いろは歳時記」。平成七年第二版。故・岩島周一氏は郷土飛騨の文化人、元岐阜県水墨画協会理事、元現代水墨画協会評議員という事のようです。私が飛騨方言に興味を持ちネット活動を開始したころに没したおかたなので面識はないし、お会いする機会を逸してしまった。残念というしかない。高山市文化協会記事も参考までに。 君:あなたは久々野町大西村の旧家の長男かも知れないけれどご先祖様が両もらいで家系を繋いだという事を知るに及んで、「りょうもらい」という飛騨方言に殊更に敏感になってしまっているのね。 私:敏感なんてものじゃない、表題の俳句を岩島周一氏の著作に発見して、思わず両目が大汗をかいてしまったよ。 君:単に言葉の直訳だけでは俳句を味わった事にはならないぞ、という意味なのよね。 私:その通り。直訳しただけでは意味が無い。 君:でも、まずは直訳からお願いね。 私:直訳すると・・・夫も養子・妻も養子の夫婦、さあ正月です、正月三が日は育ての父母、自分達夫婦、子供達の三代は育ての父母の家で祝うが、四日以降に夫も妻も育ての親に数日のお休みを頂戴して、各々が生みの親の家に里帰りをします、・・・という事。 君:つまりは夫婦そろって行動するわけではなく、夫は夫の生みの親の元へ、妻は妻の生みの親の元へ、それぞれが同時に里帰りするというわけね。 私:その通り。僕の両目が大汗をかいてしまったのは水墨画。夫婦がしばしの別れの挨拶をする場面。妻は背中に乳飲み子を背負い、片手は長男の手を引き、もう一方は重い荷物を持つ。対する夫は独りぼっち。彼は背中に大きな行李(こうり)を背負う。 君:親子が別れる場合、子供は母親についていくわよね。 私:赤ん坊は授乳が必要だから当然だとしても、幼い長男だって母親の実家におじゃまして、夜は母親に添い寝をしてもらいたい、幼い子供なら当然の感情だろう。 君:子供の心情はそれまでとして、夫婦の心情が問題よね。 私:その通り。養子というのは貧しい家の要らない子供が裕福な家の子供のいない夫婦にもらわれていく、と言うように相場が決まっている。裕福な家から貧しい家へ養子に行く事は有り得ない。 君:夫も妻も裕福な家にもらわれて、大切に育てられて、立派に育ち、家督を相続し、世間的には成功者のような立場なのかもしれないけれど、実の親への気持ちを断ち切る事は出来ないわよね。 私:その通り。いくら「産みの親よりしとね親(育ての親)」とは言っても、そのように割り切る事が決してできないのが実の親子の情というものだ。 君:つまりは育ての親は両もらい夫婦に、お前たちは共に養子・赤の他人なんだよ、と、どうしても打ち明けなくではならなくなる社会的条件があるのよね。 私:なんだ。わかっているじゃないか。前にもお話ししたか、飛騨の人達の婚姻圏は飛騨、一般的なのが村の中の男女、せいぜいが隣村の異性との結婚、狭い世界なんだよ。つまりは養子を探すといっても伝手は限られる。つまりは誰それ様の子供は養子だ、なんてことは大人は勿論、ガキの子供達が皆、知っている事。養子という事実を隠し通す事なんて絶対に出来ないね。養子制度は村社会の中での大人同士の決め事。養子縁組という事で貧しい家は裕福な家と親戚関係になる。貧しい家にとっては願ったりかなったり。村の中でのパワーポリティクスの興亡という訳だ。 君:両もらいの兄と妹が結婚しないという事にでもなれば、それこそ村中が大騒ぎ、えっ何故、という事になるのかしらね。 私:まあ、そんなところだな。貧しい家の子供が二人、裕福な家にもらわれていく。しかも結婚して財産をがっぽりといただく。有難い事じゃないか。大人の感覚で考えれば結婚しない手は無い。結婚しないという事は、青いなあ、という事だな。ぶふっ 君:貧しい家の夫婦が子宝に恵まれなかったらどうなるのかしら。 私:それでも世の中はなんとかなっていく。実は、私の家がそうだ。 君:えっ、あなたの家。 私:全ての人間には親が二人いる。 君:ええ。 私:だから全ての人間には祖父・祖母が四人いる。 君:ええ。 私:だから全ての人間には曾祖父・曾祖母が八人いる。 君:当たり前じゃないの。何が言いたいの。 私:実は僕には曾祖父・曾祖母が八人でなくて、その半分の四人しかいないんだ。 君:そんな馬鹿な。どういう事。 私:では具体的に。つまりは名前の判明している人達という意味だ。母方祖母は幼い頃に両親を亡くし、その祖母には親の記憶が無い。父も同様で父方祖母も幼い頃に両親を亡くし、同様に親の記憶が無い。つまりは私の母は母方祖父母が不明で、私の父も同様で母方祖父母が不明。私の父方祖母は尋常小学校すら出ていない。 君:なるほど。深刻な問題ね。 私:つくづく思う、いったいぜんたい僕は何処の馬の骨? 沢山の飛騨びとの血が流れている事だけは間違いない。少し脱線したな。両もらいの話に戻ろう。 君:まずは夫が実家へ帰っての場面よね。 私:ああ。実家には生みの親も、長男夫婦も、その子供達もいるだろう。彼等全員へのお土産、そして・・・養子として可愛がってもらっていて本当に幸せです、実の子供を手放すという事はどんなに苦しい思いをされた事でしょう、私はこれっぽっちも恨んでいませんし、本当に育ての親は立派なお方です、私は親が四人もいる幸せ者ですから、どうぞお父さんもお母さんもご安心ください・・・とスピーチをして、実の親をホロリとさせるんだよ。 君:妻も生みの親の実家で同じお話をなさるのね。 私:ははは、私ども夫婦は娘を二人を嫁がせたが、つまりは私共は義理の息子が二人できて、特に私の場合は彼ら二人が実の娘以上に愛おしくて仕方ない。義理の息子達とは男同士の話ができる。がはは 君:養子でおもらいになったらよかったのに。 私:まっぴら御免だな。嫁いだ娘が正月三が日が過ぎて実家に戻るのは様になるが、俳句の光景はパトスそのもの。私の義理の息子達がそんな思いをする必要は断じて無い。 君:なるほど、あなたは実の娘さん達以上に義理の息子さん達が愛おしいのね。ところで「せつ節」って旧正月よね。 私:その通り。今でこそ太陽暦だが、戦前は太陰暦、飛騨は全て旧暦だった。だから正月といってもちょうど本日、二月十四日あたり。全てが一か月遅れだ。この俳句の正月は中華人民共和国の春節に相当すると思えばよい。蛇足ながら、飛騨では桃の節句は三月三日ではなく四月三日。正月の俳句に「初春や・・」なんてのが多いが、旧暦・二月ごろを歌っていると思えば合点がいくね。 君:年に一度の実の子供との再会ならば、いくら貧しいご家庭のご両親様でも子供の接待は張り切ってなさるわよね。その一方で、両親の面倒を見て一家を支えるお兄様夫婦の気持ちが複雑よね。 私:そういう事は有り得るだろう。だが有無同然という仏教用語がある。財産の有無に関わらず、人は常につまらない事で何かを悩む。簡単にひと言、戦前あたりまでの飛騨の人々は大半が圧倒的に貧乏だったのだ。それでも幸せな人は沢山いたんだ。幼くして親を亡くした私の母方祖母も父方祖母。この二人の女性がいい例だ。親戚に預けられ、奴隷のように働かされたらしい。そんな私の二人のおばあちゃんだが、毎日毎日、ありがたい・ありがたい、と言っていた。子供の時によほどつらい目に合った証拠だよ。そんなあの人達が結婚して、つまりは私の父母の存在がなければこの僕はこの世にいなかった。有難すぎる話だ。そうやって僕が生まれたのだ。嬉しくて仕方ない。 君:つまり両もらい以前の問題。幼くして両親と死に別れ、孤児同然、帰る家が無かったというあなたの二人のおばあちゃん達というお話ね。 私:その通り。両もらいなんて有難すぎる話なんだよ。自由恋愛が出来ない・人身売買じゃないか、なんて考えたら罰が当たるぜ。共に幼くして孤児だった私の二人の祖母が、まじ、怒ります。父方祖父も隣村・久須母の浅野家から養子で大西の家にもらわれて来たんだ。でも、大西家ってそうやってありとあらゆる手段で家系を繋いだらしい。ツルベーの先祖に乾杯!ザ・ファミリーヒストリー。ぶふっ 君:そうだったのね。くしゅん |
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