岐阜県庁が運営しますバーチャル・ミュージアム
にスキー、そりの写真が展示されています。
我が家の蔵やアルバムをほうふつとさせる資料は
戦前からの歴史である事が分かります。
さて私自身の記憶は昭和三十年代小学校入学前に、
村の坂道でスキーで遊んだのですが、
これがまた、親が高山の玩具屋で買ってくれた
木のスキー、あるいは親が竹で作ってくれたスキー、
あるいは親が作ってくれたそり、自分自身が作ったそり
等々の思い出がこぼれだしてきます。
私は実はスポーツ少年ではなく、何をやってもだめなので、
えっ飛騨のご出身ですか、スキーはお上手でしょう、と
聞かれるのがいやで。ええ、まあ転ばない程度には
滑れます、と私が答えても、相手の方は、
おうそれはスゴイ転ばないとは、やはりお上手なんですね、
と引きも切らぬ相槌。
確かに友人には国体出場者やら数々の賞を受賞した者もおり、
飛騨ではスキーは学校の体育授業にも取り入れられ、
大会も多く、地元のスキー人口も相当数に上りましょう、
友人にはスキー狂いも多いのです。
ところが飛騨におけるスケートの歴史はゼロ、飛騨には
河川はあっても湖は無し、ダム湖はあるが湖面にアクセスできる
道は無し、ダム湖の氷は割れたら人は死ぬしかない
という事でむしろ忌むべき場所と考える飛騨人が大半でしょう。
私は都会にはスケート場、天然リンクではない
人工空間があって、人々が一年を通じてスケートをやっている、
と小さい時から聞いて、やはりチャンスがあればスケート場に行きたい、
と思っていました。
チャンスは大学生、都会に出た年です。
大学祭の恒例行事として徹夜スケート大会があり、
格安チケットで滑られ、また集団お見合いのような
見知らぬ男女が遊ぶ企画だそうで、なんともはや
一粒で二度美味しい企画です。
気の合った友人と企画に突撃しました。
夢はかないました、但し滑った事だけ。
さてスキーの聖地飛騨に屋内リンクは無理としても、せめて天然リンクが
出来ないものでしょうか。田んぼに水を張るだけでも
やろうと思えば出来なくもない気がするのですが、
私が知る限り、飛騨にはスケートの歴史は全く無し。
飛騨人はスケートが嫌いなのでしょうか、
どっこい、後日談ですが、件のスケート祭の体験を
行かなかった同郷に話したら、やはり行きたくなった
という彼、という事で彼と男同士仲睦ましくまた
次の週にスケート場に行きました。
"でーろーもーしれえ(飛騨方言)"という彼、
その意味は、でーれれー、でーらちぃ
がヒントです。
結論ですが、飛騨の潜在的スケート人口は多い。
初めてスケートをする人の大半は夢中になります。
まずは田んぼに水を張った天然リンクを開設すべきでしょう。
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