別稿に飛騨方言動詞の他動詞〜やすについてお書きしました。ちょいと調べたら、古語に由来するわけでなし、古語が訛っただけの言葉のようにもみえて、別稿はなんだか方言としての有り難味が無い話になってしまいました。
それで、最近の話題の書二冊、国家の品格、女性の品格、にちなんで、佐七も物書きの真似事で方言の品格を真面目に三番煎じしてみました。安易な煎じ屋です。
さて、鄙( ひな )には古き言葉残れり、これこそ筆者が如き田舎者には喜ばしい限りですね。コンプレックスを抱きつつも何気なく話している方言がかつて都で話されていた言葉であれば、郷土を見直し、歴史を感じて、いやがおうにも少数民族・飛騨人( ひだびと )の誇りが沸き出ずる、というものです。
ところが冒頭の話題ですが、かへす(古語)がかやすに、けつが消やす(きやす)等々、結局は飛騨方言は訛っています。古語がくずれてしまったのです。ですから、ましてや共通語を話すべき場において、かやす・きやす、を使用する事は、はばかるべきでしょうね。
それでも、京言葉では、ごめんやす・おこしやす・おいでやす、などは最高の敬語表現であるとか、甚だしくは、また来とくれやす、などと命令形に接続しても良いという、大変に重宝な文末詞なのですね。そやで、やっぱあ飛騨方言ぁだしかんぜな。京言葉がけなるいさ。
まあ、もっとも、京都のチンピラがやくざの親分に、どうでやす!あるいは、どうでやす?などと話しても言葉に微塵の品格も感じられませんね。要は話す人の品格。
では書き言葉の飛騨方言はどうしたらお上品になれるか、と参りましょう。まずおさらいですが、飛騨高山は、実は方言でこそ、日本を代表的する小京都なのです。何故かと言えば律令時代に延べ二万人とも、飛騨全土からくまなく飛騨工が京都への短期赴任を、世紀を経て、繰り返した結果、飛騨方言は京言葉の直接の影響があきらかです。従って、このあたりをお上手に使われたら、飛騨方言もそれなりに京言葉の品格に近づけるというものでしょう。と言う事で、以下は思いつくままに。
- けなるい、やくと、等の共通語彙を使う事。
- サ行動詞のイ音便を使う事。
- 形容詞連用形はウ段オ段でいけ。美しくではなく、うつくしゅう、うつくしょう、で。
- 形容詞は短音長呼でいけ。赤い>あーかい
- 敬語の命令形は、しんさい、しなされ、等。
- 蛇足ながら、モーラ方言なので発音は自信を持って堂々と。
これで飛騨方言のお上品さは間違いなし。以上の注意点を全て織り交ぜた例文ですが、
あーかい(4)ハンカチをやくと(1)うつくしょう(3)出いて(2)、けなるいなあ(1)。はよう(3)しんさい(5)。 ( 赤いハンカチをわざと綺麗に出して羨ましい。早くして。 )
うーむ、全国どこへ出しても恥ずかしくない、お上品な飛騨方言ですね。いかにも小京都・飛騨高山の言葉、佐七はゾクッときます。
ただし肝腎の意味が不明。幸せの黄色いハンカチなら意味が通るのに。
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