大西佐七のザ・飛騨弁フォーラム

飛騨人がしびれてまう言葉・左甚五郎

戻る

あなたはどこの出身ですか、という質問には 生まれ育った土地をどなたも迷うことなく答えるでしょう。 飛騨で生まれ十八の年まで育った私も飛騨の出身と答えます。 私は振り返って名古屋界隈に三十年近く住んだ事になりますが、 生涯、名古屋の出身ですと名のる事はありません。

前置きはさておき、左甚五郎(ひだりじんごろう)ほど全国に名を轟かせた伝説的ともいえる 大工さんはいないでしょう。 甚五郎の作といわれるものは全国にまたがります。 従って、甚五郎という言霊は、物づくり・建築・造形・工芸の神様のようなもので 日本人に広く愛されている言葉という事になります。 全国の屋号などに随分と使われている言葉・(物づくりの神様)甚五郎です

そして飛騨人がとりわけこの人物をこよなく愛する特別な理由があります。 地元の人なら誰とて知らざるや、彼が飛騨の出身だからです。 ネット情報によりますと、貝塚市の生まれなれど 甚五郎の墓記事にある如く、 七歳で父と死別し、十三歳まで飛騨高山の伯父の家で過ごしたとの事です。 そしてその後に天才大工・甚五郎の活躍が始まり、彼は日本のスターになったのです。

全国にまたがる屋号・甚五郎なれどおおいに結構な事です。 がしかし全国の甚五郎ファンの皆様へ、 飛騨人が心に思い描く事は"ひだり"甚五郎という事ではなく、 飛騨の甚五郎、つまり飛騨出身の甚五郎、という事なんですよ、実は。 甚五郎さんが大阪方言を話していたとは考えにくいのです。 別稿・親ではなく地域が教える言語 をご参考までに。彼は
おりゃ飛騨の甚五郎やさ。
I am Jingorou from Hida.
と言っておみえに決まっています。また海辺で育っていたなら彼は漁師になったのでしょう。 木の国飛騨で育ったからこそ大工になったのです。 しゃみしゃっきり。

ページ先頭に戻る