大西佐七のザ・飛騨弁フォーラム 

簡単に地雷を踏む学問、語源学

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私:金田一京助氏が息子の春彦さんに「語源学だけには首を突っ込むな。地雷を踏むに決まっている。怖い世界なんだ。」と仰った事は夙に(つとに)有名。
君:今日はそれにちなんだお話ね。
私:語源は誰もが知りたいところだが、諸説紛々のケースが多い。つまりは大半が間違い。語源の答えはたったひとつに決まっているからね。
君:それでも魅了されてしまうのよね。早い話が左七君。
私:いや、僕じゃない。日本一の語原男といってもいい先生がいらっしゃる。
君:あら、どなた?
私:吉田金彦先生。日本語語源研究会の創設者。
君:まさか吉田先生が地雷を踏んだのでは。
私:そうなんだよ。実は先生は2022年9月19日にご逝去されました。謹んでご冥福をお祈り申し上げます。昨日、偶然に、日本語ことばのルーツ探し、祥伝社黄金文庫を読んだ。p47-50 デカイ、の記事がそれ。
君:手短にお願いね。
私:同書で、先生は「でかい」の語源は「でかした」のイ音便「でかいた」からの転であろう、とお書きだが、明らかに間違いでしょう。
君:根拠は?
私:勿論、出典。「天狗騒動実際(明和2、1765)」、「峡陽来書(天保7、1836)」・甲府の百姓一揆の記録、の両書物に「でかい」がある事をつきとめておられる。
君:それで?
私:当時、つまりは江戸初期の狂言「墨塗」にも「それはでかいた」という台詞がある事にも気づいておられたようだ。ここから彼の安易な妄想が暴走する。「でかい」の語源は「でかいた」からきたのであろうと。
君:安易な妄想とは聞き捨てならないわよ。
私:彼が気づいたのは「でかい」は十八世紀の江戸語という事だけ。飛州志(1728年)の事は全く気付いておられなかったようだ。
君:なるほど、長谷川忠崇は同書で、飛騨では大きい(いかし)事を「デカイ」という、と記載しているから、資料の価値は比べ物にならないわね。
私:語源探しのレースというのは、最も古い資料を探し当てたものが勝ち、というルールのゲームだ。つまり「でかい」に関しては吉田先生の負け、左七の勝ち。吉田先生は飛州志が書かれた時代の後の時代に「でかい」という言葉が一般化した事を確認なさったにすぎない。ご存命ならば左七は先生に手紙を書いていたところだが、数か月前にお亡くなりとは残念極まりない。
君:「語源学だけには首を突っ込むな。」とは、なるほど、名言ね。

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