大西佐七のザ・飛騨弁フォーラム |
うい-2(=気の毒な、いやな、残念な) |
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私:表題は昨日の続き。飛騨方言の形口・うい憂、語源は形ク・うし憂。 君:それ以上に議論する事って何かしら。 私:形ク・うし憂は和語。万葉集にある。世の中を うしとやさしと思へども 飛び立ちかねつ 鳥にしあらねば(893)。意味は? 君:やさし、が問題ね。 私:そう。やさしい、ではなく、身がやせる思いがする。うし、やさし、は自分に対して自分自身が感ずる感情、つまりは他人は介在しない。人間としての根本的な悩みのようなもの。これに対するのが後世に現れる形ク・つらし。うし、と、つらし、の違いは? 君:つらし、というのは他人が自分に対して無情・冷淡である事が苦しい、という意味ね。 私:その通り。つらい思いというのは、自分は悪くないのに周りが良くなくてひどい目にあった、という感情。他方で、うし、というのは、例えば、異性など好きにならなくてもいいのにどうにも情熱を抑える事が出来ず、かってに自分自身が悩む感情などがそうだね。有名な流行歌がある。誰のせいでもありゃしない、みんなおいらが悪いのさ。 君:ははあ、なるほど。飛騨方言の、うい、は、どちらかというと、つらい(他人が悪い)、という意味ね。 私:うん。ただし、うし・つらし、の意味の取り違えは時代が経るほど混同され、中世には、どちらも意味も用法も同じというようなレベルになった。感情形容詞の難しいところ、というか面白いところ。それに飛騨方言では、それはうい事や、などという例があるように、相手の気持ちを類推する用法、となるとこれはもう、相手を思いやる感情にほかならず、万葉時代の元来の用法と言えなくもない。それに、先ほど調べ物をして、ひとつ、うい、が現代口語に生きている事に気づいた。 君:でも、うい、って死語じゃないかしら。 私:いやいや、形ク・ものうい物憂。メランコリー佐七といったところか。あーあ、人生やんなっちゃった、俺って駄目な男、という感情。太宰治、グッド・バイ (小説)。人生に後悔はないが反省は残る。命長ければ恥多し。 君:今日は取り留めのないお話ね。 私:いやいや、感情形容詞の奥深い世界という事。要は、思わぬ誤解を避けるために感情語彙の使い方は気を付けましょう、という事ですな。 君:そうかしら、絶対的孤独を信ずる人間には関係ない事だわ。要は、アドラー哲学よ。自意識過剰を捨てて自分自身のちっぽけさに気づく事ね。ほほほ |
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