大西佐七のザ・飛騨弁フォーラム 

うい-3(=気の毒な、いやな、残念な)

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私:二夜連続で飛騨方言の形口・うい憂、語源は形ク・うし憂、について書いてきた。万葉の言葉だが、どっこい、形口・ものうい、に生きている言葉だ。でも共通語としても死語になってしまった。理由が一つある。
君:あらら、どこかの本に書かれていた事のご紹介ね。
私:いや、違う。そんな事を国民の皆様に発信しても仕方ない。先ほど、突然にひらめいた。といっても考えていたのは数分だが。
君:ほほほ、それじゃ、あまりたいした発見じゃないわね。ちょっとした思い付きという事ね。
私:ははは、その通り。結論から言おう。形ク・うし憂、は和語、つまり万葉の言葉だが、近世語に突如として、形口・うい愛、が現れるんだ。意味は、好ましい、愛すべきだ、殊勝だ、けなげだ。出典は、狂言記、浄瑠璃、等。専ら目上が目下に対して用いる形容詞。語源は書かずもがな、よき・よい(好)の音韻変化だろう。大言海にあるが、素直に信ずることが出来るね。また全国の方言にもなっており、ひとくちに、うい、といっても、憂い・好い、のいずれなのか、中央では、この意味の混同を嫌い、両語とも死語になり、近代語・現代語には残らなかった。残ったのは方言の世界のみ。
君:あらあら、両者共倒れというのは面白いわね。
私:その通り。普通はどちらかが生き延びるような気がするんだけれどね。先ほどは、ヘエ、こんな現象ってあるんだ、という事に気づいて、思わず目が点。
君:でもよかったじゃない。話のネタが見つかったのだから。
私:いや、これは僕にとっては国語学上の大発見なんだ。こんな言葉ってないぜ。新種の発見。世紀の大発見。佐七の辞書には平凡な言葉という語彙は無い。
君:ナポレオン君、朝の連ドラの見過ぎよ。ほほほ

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