大西佐七のザ・飛騨弁フォーラム 文法 |
形容詞とはなんぞや |
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私:高校時代は数学者になりたいと思ったし、英文学者になりたいと思った事もあったっけな。 君:それは大きな夢だったわね。残念な事ね。ほほほ 私:ご心配なく。英文学者の患者様がおひとり。女性だが某国立大学の名誉教授。診察というよりは英文法の雑談で盛り上がる。 君:へえ、それは良かった。 私:医学英語の語彙がざっと20万以上だろうね。勿論、彼女の知らない世界という事で、短い雑談はお互いの学習の場となっている。 君:異業種の専門家の知り合いって自身にとって貴重な財産よね。 私:要はそういう事。前置きはさておき、学校文法の怪という事で少しお話ししよう。中学校では white = 形容詞と教わる。これがそもそも間違い。 君:どうして? 私: white = adjective であって、形容詞ではない。 adjective は実は名詞の一部だ。 君:どうして? 私:英文法と国文法を同じ学術語で記載しよう・理解しよう、というところが根本的に無理なんだよ。 adjective の定義は、主語になり得ない名詞。 君:確かに。White is the snow mountain. 倒置法はあっても主語ではないわね。でも adjective は活用するわよ。 good-better-best. 私:いや、実は活用なんかしていないんだ。善-改善-最善、三段階の状態を表す名詞である事には変わりがない。 君:確かに。 adjective に定冠詞をつけると「〜の人々」という意味になるわね。the young 若い人々、これなら主語になるわよね。 私:百歩譲って国文法には形容詞という学術語があるとしよう。形容詞の語が初めて現れるのは明治四年(1871)の中金正衡・「大和語学手引章」。 君:動詞とは何ぞやに出てくるお方ね。つまりは「大倭語学手引草」第二弾というわけね。 私:うん。「動詞」については問題なかったが、中金正衡は「なんでもかんでも形容詞」という定義にしてしまったものだから(例えば日本国、日本という言葉は国という言葉を修飾する形容詞)、形容詞の厳密な定義を記載して概念を確立させたのがチェンバレン・「日本小文典」明治20年(1887)。 君:渡日し、瞬く間に日本語をマスターし東京帝大で講義、かの上田万年も学生だったというから大した英国人よね。 私:そういう事。世の中には凄い人がいた。上を見ればきりがない。大槻文彦もこれに刺激を受け、「語法指南」に「形容詞」を採用した。 君:そろそろ結論をお願いね。ほほほ、言いたい事はわかっているわよ。 私:うん。形容詞は主語にはなれない。adjective も主語にはなれない。形容詞は単独で用言になる。ところが adjective は単独で用言になれない。何の事はない、つまりは、形容詞 = be adjective だ。更には形容詞は語幹+活用部分に分解できる。従って adjective は実は形容詞語幹とほぼ同じ。そして形容詞の活用部分は be 動詞とほぼ同じととらえる事ができる。 君:つまりは学校文法でそのように教えると生徒に無用の混乱が生ずるかも知れないわね。 私:いや、この程度は中学生なら誰でも理解できる事だろう。 君:一部の中学生なら、という意味かしら。 私:一部の大人、かも知れないね。当サイトの熱心な読者の皆様には平易すぎる内容でいつも恐縮している。クリック数が増え続けているのが心の励みです。この場を借りて厚く御礼申し上げます。 君:じゃあ、そろそろ国学のお話ね。一言でお願いね。 私:形ク「白し」は古代から存在した。但し「ク活用形容詞」なる記載は明治からです。浅学菲才の左七が先ほど書を調べたるに、国学では「形状ノ詞(ありかたのことば)」・「形状言(ありかたことば)」というのであります。 君:ク活用ナルアリカタコトバ「白し」とは。をかし。長き言なる事甚だし。ほほほ |
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