大西佐七のザ・飛騨弁フォーラム 文法 |
うなぎ文2 |
戻る |
僕:今日は前回に続き、うなぎ文(ぼくはうなぎだ)の続きを。 君:何か付け足したい事でも?格助詞「が」は連帯格の格助詞「の」に置換が可能という論法ね。 僕:うん。星がきれいな夜だった、は、星のきれいな夜だった、に置き換えられる。だからといって格助詞「の」に主格の意味があるという意味ではないよね。 君:どういう事? 僕:星のきれいな夜だった、という事は、星の夜だった・しかもきれいな夜だった、という意味であって、星という名詞は夜という名詞に係る。星のきれいだ、は文章として成立せず主述の関係が成立しない。星のきれいな夜だった、は畢竟、きれいな星の夜だった、の意味。いわば倒置のレトリックじゃないのかい? 君:星がきれいな夜だった、は、星がきれいだ、の短文の連帯格とでも言いたいわけ? 僕:その通り。この文は日本語の特徴、主語を明示しないレトリックだ。正式には、それは星がきれいな夜の事でした、という意味であり、それは、が略されている。 君:天候は、に置き換えてもいいわね。 僕:そう。主語は聞き手が勝手に類推してください、という日本語の文法。 君:あなたの今の言い方、体言止めもそうね。 僕:うん、以前に論じた事があったっけな。未来の日本語からは用言が消滅するだろう。 君:すべての用言の体言化ね。 僕:用言の活用衰弱並びに連体形への合一だ。 君:原点復帰。はじめにことばありき。ことばは体言から始まった。 僕:飛騨方言では主格を示す格助詞「は」「が」はしばしば省略されるが。連帯格の格助詞「の」は決して省略されない。 君:それはどこの方言も同じ。つまりは全ての方言が日本語の文法に従っているから。ほほほ |
ページ先頭に戻る |