大西佐七のザ・飛騨弁フォーラム 文法

自動詞・他動詞

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私:昨日は飛騨俚言動詞「くむ(はみ出る)」(自マ五(自動詞マ行五段))について少しお書きしたのだったね。一応の結論としては語源は「汲む(他マ四)」かも知れないと結論しておいた。
君:それでもどうもしっくり行かず、悔しくて、今も尚、考え続けていらっしゃるのね。
私:まあ、そんなところだが。
君:その後、何か思いついた事があるのね。
私:その通りだが。
君:早速にお話ししてちょうだい。簡潔にね。
私:うん、では。「汲む」が語源としておかしいと思われる点は二つある。一つには俚言「くむ」は自動詞、「汲む」は他動詞という事。もう一点は、二つの動詞の意味に乖離がある事。
君:その二つで諦めるのが普通。語源の候補にはならないわね。
私:ただし、音韻はピタリとあっている。二モーラで尾高。
君:多勢に無勢だわよ。
私:そもそもが、自動詞・他動詞って国語学の弊害じゃないだろうか。
君:ほほほ、明治からの国語文法に対する果たし状ね。
私:いや、そこまでおっしゃらなくても。でも自動詞(vi)・他動詞(vt)って実は intransitive verb / transitive verb の直訳だよね。
君:国学には無いわね。
私:それに格助詞の言葉もそうだ。英語は格(case)の概念から成り立つが、国語文法の格助詞とは別の世界。
君:確かにね。
私:英語は語順が全て。「見る」という意味でも look は自動詞、watch は他動詞。
君:あら、そうなの。
私:ははは、国語に毒されると英語の感覚がわからなくなるんだよ。
君:まあ、お言葉ね。
私:高1の最初の全国模試で自動詞 gaze の前置詞を問う問題、初めて見た単語なので散々に迷った。look と同じだから gaze at これに気づかず 97点。百点が二人いて僕は全国三位だった。あの屈辱は忘れない。あの日以来、僕は英語の鬼になった。留学の二年間はハーバード卒のボス prior Prof. Edward A. Carr の直属の部下でミッチリと英語のグラント、英作文をしごかれた。夢のような留学だったなぁ。懐かしい。要は日本語と英語は文法が根本的に異なるのだから、用語をこじつけたように統一する必要はないね。ははは
君:あなたがそうおっしゃるのならそうなのね、つまりは英語押し付け文法で国語を学ぶ中高生が可哀相という事よね。それをステップにして大学で思いっきり学問をなさるといいわ。華麗なる古典の世界。例えば歎異抄・・
私:・・そして教行信証、ところで中学生時代を思い出すな。
君:ほほほ、先生をからかったのね。
私:「〜を」の有無で他動詞・自動詞を区別する、「飛行機を飛ばす(他)」「鳥が飛ぶ(自)」と教わったんだよ。
君:それで。
私:僕が挙手して「空を飛ぶ鉄人28号!]」って叫んだら教室が混乱。担任から「お前がいると授業がやりにくい」と言われてしまった。
君:「戸を開く(他)」「戸が開く(自)」。確かにね、英語文法の考えを日本語に押し付けるのはよくないわ。
私:ははは、うれしいな。仲間が出来て。手元の数冊の古語辞典の巻末の文法用語一覧の辺りを読んでも、おおかたの辞典には自動詞・他動詞の区別は厳密なものではない、と記載されている。
君:ほほほ、だから「くむ(はみ出る)」(自マ五)を他動詞にしたいのね。あなたって人は。
私:既出の例文でいこう。「ぼたもちの皮から/あんこが/くむ。」
君:それで。
私:膠着語だから「あんこが/ぼたもちの皮から/くむ。」でも全く同じ意味だ。
君:そうね。語順が全ての英語とは違うから。でもそれは小学生でも理解できる事よ。
私:じゃあ。「あんこが/ぼたもちの皮を/くむ(はみ出る)。」、実はこれでも飛騨方言としては意味が通る。
君:ほほほ、姑息ね。つまりは実は自動詞ではなくて他動詞だとおっしゃりたいのね。「くむ」の隠れた意味は「くぐりぬける」という事もおっしゃりたいのね。
私:いや、そうじゃない。飛騨俚言「くむ」は典型的な自動詞。だから問題になるのは、むしろ格助詞「を」じゃないのかい。
君:そう言えばそうね。「空を飛ぶ鉄人28号」問題。
私:そう、君なら当然わかる。この例文での格助詞「を」は「動作の対象」つまりは英語文法を日本語訳する時の「を」ではなく、「動作の起点」「経過する場所・時」の意味なんだよね。
君:そうね。格助詞「を」はざっと八種類以上の意味があるのよ。飛騨方言のフレーズ「皮をくむ(自)」がセンスにあうのはそんな理由だからなのよね。格助詞「を」には識別の対象を示し「〜から」などの意味もあるわ。「潮待つとありける舟を知らずして悔(くや)しく妹(いも)を別れ来にけり」
私:ドキッ、恋人にふられた男の歌。まさか、君。「海原に出ていく舟があるかどうかもきちんと確かめないで恋人のあなたから別れようとして、この浜まで来てしまった。」と思い詰める僕は独りぼっち。
君:ほほほ、その心は実は「舟は無い。僕は恋人から逃れて海には出られない。恋人のところへ戻るしかないって事か。そもそもがこの僕にあの人を忘れる事なんて出来るわけがないじゃないか。」まかり間違えばストーカーのあなた。
私:思わず脱線してしまったが、飛騨方言も厳密に文語文法に従っている。これで「くむ」の自動詞・他動詞問題は解決したと思わないかい。
君:どうもそのようね。
私:つまりは。
君:「戸を開く(他)」「戸が開く(自)」。つまりは飛騨俚言「くむ」は「汲む」という自動詞なのじゃないかという発想なのよね。
私:You said it!!!(=そうなんやさあ) 自他同形の動詞というのだそうだ。「閉じる」「開く」「吹く」、他にも仲間がいそうだ。これで決まりだね。
君:とんでもないわ。じゃあ、肝心の意味はどうするの。古語動詞「汲む(他マ四)」の意味はふたつよ。「水をすくい上げる」「思いやる・推量する」
私:ははは、それって何のことはない、実は同じ意味じゃないのかな。然も、あんこに通じる意味。がはは、ここまでくれば君を口説き落としたも同然。
君:嫌いよ。あなた一流の解釈ね。中学時代のあなたの担任のお気持ちがよくわかるわ。つまり「や・り・に・く・い」。あらっ、あそこに舟が。ほほほ、探していたものが見つかったわね。
私:言いたきゃ何とでも言え。でも要は「思いやる・推量する」とは「気持ちを汲み取る」という事じゃないか。つまりは「汲む」とは、「水とか心とか、つまりは流動的なものを下から上へ、あるいは内から外へ出してやる」という意味だよね。「沢山のものから欲しい一部分をすくい取る」事だ。
君:ほほほ、確かに。あんこは固体ではなく粘調なものだし、「皮をくむ」とは「皮からはみ出る」事だから、さすがの吾が背、そのこじつけもまんざらじゃないわね。ほら、舟から降りなさいよ。第一にあなたはカナヅチでしょ。今後は海に近づかないでね。
私:となると、飛騨俚言動詞「くむ」の語源は幻の中世古語「汲む(自マ四)」、そして最も大切な点だがその意味は「(あんこ等の非固形物が)あふれだす・染み出る」、かも知れない。
君:確かにアクセントもあっているし。でもね、なんとなくこじつけのような感じで、私は方言の神様が降臨なさった感じがしないのよ。
私:感受性の違いかな。俺って、もうしっかりと神様と握手してるぜ。
君:まあ、他に適当な語源の候補もないし、今夜の結論も、飛騨俚言「くむ(はみでる)」の語源は「汲む」かもしれないわ、という事ね。
私:ありがとう。自動詞・他動詞の議論では全面的にご納得いただけたんだよね。
君:そうね。英語感覚を捨てる事も大切ね。
私:田中大秀だよね。
君:勿論よ。でも、残念な事に全国の皆様にはほとんど馴染みのないお名前なのよね。
私:高山市のウエブサイト情報があるが、飛騨出身で生涯、飛騨に住んだ江戸時代の国学者で本居宣長の一番の弟子。国学、万歳!
君:松阪市には行った事がおあり?
私:行くなんてもんじゃない。「宣長まつり」、毎年、開催されている。趣向を凝らした催し。三重県民・松阪市民は本居宣長が大好きなんだよ。三重の偉人だ。今年(2020)はコロナで中止だ。来年に期待。
君:なるほど、伊勢神宮の影響かしら。お国柄ね。田中大秀は飛騨の高山祭の考案者で初代の実行委員長だったのよね。それと「竹取物語」。だけど飛騨での国学人気は無いも同然だわね。あなたおひとりがここでお祭り男よ。
私:もうひとつ、恥ずかしながら物心ついた時からお人形が大好きだった。当然ながらの疑問としては、どうして「汐汲み娘」は着飾って浜へお行きになるのだろう。裾から襦袢(じゅばん)がくんじゃイヤーン。

君:決まってるじゃない。美人好きの吾が背の気持ちを汲んでの事よ。
まとめ
日本語において自動詞・他動詞の別は便宜的なもの。自他同形の動詞の存在に如実に示されています。更には源氏物語等の古典に顕著に現れる如く、主語の省略が日本語の最大の特徴です。例、「わかった?」「うん、わかった。」つまりは動詞の自他の別は文脈での判断が全てです。

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