飛騨方言では女性格を示す終助詞でポピュラーなものが、〜ぜな、〜えな、です。
例えば、私は花子です、を、わたしゃ花子やぜな、あるいは、わたしゃ花子やえな、と言うのです。
ところが最近では、〜えな、が更に母音変化して、〜いな、という方が増加しているように見受けられます。
方言史的には、
〜ぜな>〜えな>〜いな
と変化してきているのではと筆者なりに推察致します。
一方、男性格終助詞は、〜ぞ、です。これは昔から変わっていません。私は佐七です、は今も昔も、
おりゃ佐七やぞ、です。
そしていつもの独断漫談の佐七節、飛騨方言の珍説ですが、昔は男性は例えばおりゃ佐七やぞ、わたしゃ花子やぜな、と
言っていたのでしょう。おそらく明治時代くらいまででしょうね。ところがここに文明開化、つまりは
平塚雷鳥、ひらつからいちょう、女史登場、女性が主張する時代になったのです。
つまりは飛騨の女性は、〜ぜな、が男っぽくて嫌で、〜えな、を発明したのです。
それでも飽き足らない飛騨のたおやめが徹底的に女らしく飛騨方言を話したいという
事でさらに、〜いな、を発明したのです。
再掲で申し訳ないのですが
飛騨方言における終助詞・ぜな、の用例、用法
の文例、
「おりだち(私たち)は、こんで(これで)飛騨とも別れるんやな、ツォッツァマ(お父さん)、カカサマ(お母さん)、まめでおってくれよ(元気で居てください)。
といって、飛騨と信州の境で、みんなでしがみついて泣いたんやぜな。」
こんな古風な、〜ぜな、の用例を今時の飛騨のお若い女性が使われましょうか。
筆者の印象としましては、つまりは、〜いな、という女性の用法は
極めて女性らしい言い方、飛騨方言が洗練された言い方、言わば都会風の言い方、
都会人にも飛騨方言は美しいと素直に感じていただける言い方、
のような感じがします。
事実、明治の女工が両親に語った、〜ぜな、は現在すでに死語になりつつあるのではないでしょうか。
飛騨の女性があるいや若しやいなせな言葉だからという深層心理で、〜いな、をお話しになるのは
まことに結構な言葉遣いという事になりましょう。しゃみしゃっきり。
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