方言というと、ちんぷんかんぷん、変な言い回し、論理があっていない、
文法が破格である、訛っている、アクセントがおかしい、等々
ろくな評価が与えられないのが常ですが、
今日のテーマは論理がきちんとあっている飛騨方言における二重否定表現の
お話です。
例えば、さあ飲もう、飲まなくてはだめだ、という意味で、
飛騨方言では、のまにゃだしかん、と言います。のまぬにやらちあかぬ、
という意味で二重否定は肯定と言う事できちんと意味があっていますね。
そしゃそゃうえい、というご当地ソング、つまり飛騨方言丸出しの歌がありますが、
歌詞に、日のくれんうちにやってまわにゃだしかん、というのがあります。
つまりは、明るいうちにその日の農作業はやってしまわぬにやらちがあかぬ、
と言う事でこれもキチンと二重否定は肯定という意味で論理があっています。
他に候補となる助詞といえば、飲まんと、飲まんでは、飲まんでゃあ、
飲まんくては、飲まんくてゃあ、等々がありますね。これに続く言葉が、
だしかん、だめやさ、だめやぞ、いかんながい、いかんさあ、等々ですね。
上の句・下の句とも任意の組み合わせで可能です。
そしてやはり二重否定は肯定という意味で論理があっています。
さて飛騨方言ではラ行動詞では禁止を意味する終助詞・な、を終止形に接続する場合
ですが、撥音便になります。例えば、みるな・みてはいけない、は、みんな。
飛騨方言におけるラ行動詞の撥音便
をご参考までに。みない+禁止の終助詞・な、ではないのです。
つまりは二重否定表現でしかも意味が逆転しているというような
論理は成立しません。単なる一重否定の撥音便です。
結論ですが、飛騨方言では二重否定表現が多用されます。
しかもキチンと意味はあっています。
飛騨方言は極めて論理的な言語です。
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