大西佐七のザ・飛騨弁フォーラム 飛騨方言における敬語

ござるしこ

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不肖佐七辞書に詳述の通りですが、しこ、というのは、様子・状態、という意味の一般名詞です。語源は、醜、元々は困った様子や状態を示す言葉だったのでしょう。

話変わって、数年前ですが下呂で植樹祭があり、平成天皇がいらっしゃいました。当時の飛騨の人々の様子があれこれネット記事になった事が思い出されます。人間はあれっ、と思った事は簡単には忘れないもので、ある記事の老婆のなまの言葉の記載が私の心に残ったのです。
こんど、天皇様がござったしこで、・・
の一節ですが、現在、同語ではヒットせず。幻のネット情報となってしまいました。ところが、〒501-5303 岐阜県郡上市高鷲町大鷲241 鶴遊山長善寺様の、お袋の味、という記事に、ござったしこ、の言葉があり、思わぬ収穫でした。飛騨のお隣・郡上の方言にも、このような言い方があるのでしょう。ヒットしたのはたった一件、貴重な文字情報です。

上記の文ですが、もとより、天皇様がござったのは実に困った様子・状態で、という意味ではありません。ご様子、という意味で、しこ、が用いられているのです。誤用が一般化して正用となった以上に面白い事です。と申しますのも、言葉は一般的には時代を経て使われるうちに段々と敬意が薄れてくるものなのです。方言学に言う「敬意逓減の法則」です。例えば江戸時代には、おまえ・きさま、は良い言葉であったものの、今では部下が上司に使うにしては最後の言葉、と言うほどまでに言葉の価値が下落しています。

かたや、元々はののしり言葉であったのでしょう、しこ、を最高級敬語、つまりは古文に言う天皇に対する敬語表現に用いる飛騨方言って、いったい。ですから飛騨方言の研究はやめられませんね。ふふふ。疑問が残ります。老婆ゆえ戦前のお生まれの方、つまりは戦前でもこの言い方は不敬罪ではなかったのでしょうか。

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