言うまでもない事ですが、動詞の連用形に助動詞・た、を付加しますと、動作の過去における完了を示します。
ところが、飛騨方言では、アラなんと!!、動詞未然形に助動詞・た、を付加する言い回しがあるのです。例えば、
先生が黒板に字をかかた。
ですが、"書いた"と記すべき誤植でもなんでもなく、"先生が黒板に字をお書きになった。"と言う
意味の飛騨方言なりの尊敬表現です。
飛騨方言でも当然ながら"先生が黒板に字をかいた。"ともいいます。
単に連用形に助動詞・た、という事で尊敬表現ではなく、共通語と同じ意味です。
さて、"先生が黒板に字をかかた。" は "先生が黒板に字をかかさった。" という言葉がつまった表現とも
考えられます。が果たしてそうでしょうか。
例えば別の例ですが、飛騨方言では "先生が私に色紙をくださった。" という意味で、
先生が私に色紙をくらた。
というのです。飛騨方言では "先生が私に色紙をくだた。" とは決していいません。
また、飛騨方言でも共通語と同様ですが、"先生が私に色紙をくれた。"
と言う場合は、尊敬表現になっていません。
ところで、古語文法に、単語・る(=助動詞ラ下二)の言い回しがあり、
動作を表わす語につけて敬意を表わす、とあります。
例えば、いかがおぼさるる、さぶらはれよかし、等です。
筆者なりに考えますと、共通語では普通表現・書く、に対して尊敬表現・書かれる、があるように、
飛騨方言では普通表現・書く、に対して、尊敬表現・書かる、があるのでしょう。
共通語では普通表現・くれる、に対して尊敬表現・くださる、があるように、
飛騨方言では普通表現・くれる、に対して、尊敬表現・くらる、があるのでしょう。
このように考えると上記の例の飛騨方言特有の過去動作の尊敬表現は理解しやすいと思います。
そのおおもとは古語文法にある助動詞・る、による尊敬表現の過去形のみが残ったものであろうかと筆者なりに考えます。
皆様、いかがおぼさるるや。
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