大西佐七のザ・飛騨弁フォーラム 動詞

四段活用と五段活用

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飛騨方言は中世あたりの中央の文法が 生きていますので、古語文法の四段活用のみで会話は可能ですが、 今の時代、話し手は激減している事でしょうね。

さて古文のおさらいですが、助動詞特殊型・う、は 上古の推量の助動詞・む、が撥音便・ん、になり、近世に、う、に 変化したのでした。 例えば、
上代 四段 読まむとす
中世 四段 読まんとす
中世 四段 読まうとす
近世 五段 読もうとする
      読もうとした
流石に飛騨方言では、読まんとする・読まんとした、とは 言わないでしょうね。その代わりに、
読まんと思う
読まんと考える
読まんとしよる
などの言い方が可能です。 次いで飛騨方言では、書こうにも書けない、という文を、
書かんと思っても書けん
書かんと考えても書けん
書かんとしようるが、なかなか書けん
などの言い方で言い換え可能です。 次いで、勧誘の表現ですが、例えば
共通語  五段 読もう
飛騨方言 四段 読ままいか
美濃方言 五段 読もまいか
などの違いがあるのです。

さて、近世に中央で四段動詞が五段化してしまった 理由ですが、書くまでも無い事ですが、あえて。 連母音融合ですね。折角の新発明・あう、という言い方は必然的に もっと言い易い言い方、おー、つまり五段活用、に化けたという訳です。 それにしても、どうして中央では、この言い易い音・ん、が、う、に なってしまったのでしょうか。謎ですね。 それでも連母音融合で五段化してこの問題を解決してしまった中央だったのですが、
飛騨人という前に佐七は日本人なんやさ
私にも気持ちはわかります。 苦肉の策だったのです。 飛騨方言のように四段活用に留まっておけばよかったものを。

いよいよ結論ですが、 飛騨方言では四段動詞が五段化しなかった理由もあえて書きますと、 推量の助動詞・ん、が、う、に変化しなかったからですね。 ピンときますねえ。ん、は言い易いが、う、は言いにくい。 飛騨方言は言い易さの点で、完成された美しさがあるのです。 佐七は吼える、飛騨方言四段動詞を五段化させてはいけない。 遣唐使の阿倍仲麻呂殿、この間長安(西安)へ行ってあなたのお墓に お参りしましたぞ、日本が今日あるのはあなたがたのおかげ、 美しい飛騨国の言葉を守ろう。 いい間違え、五段を使うな!守らんかいな。

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