飛騨方言では私の事を俺といい、これは女性でも
用いますのでとにかく飛騨方言を知らない方はビックリ仰天、田舎の女性は
おそろしいという話になってしまいます。
私こと、飛騨方言小僧・大西佐七も人生の大半をこれで悩み続けてきました。
でもちょっと待ってください。
確かに共通語では第一人称・おれ、は男性言葉でなのですが、
音が似ているからといって飛騨方言のおりぃと同一の代名詞であろうと
錯覚する事がそもそもの間違いなのではないでしょうか。
と申しますのも飛騨方言に於いて、所謂自分自身を権威付け、
高い席から相手に向かって話す第一人称は、やはり何といっても、わたし、でしょう。
例えば、市長さんが、村長さんが、はたまた校長先生が、社長さんが年頭の挨拶で、おりぃ、と言っては絶対にいけないのですね。
また神主さんが元旦行事をなさるにも絶対に、おりぃ、と言ってはいけません。
このような方々は必ず、私、と言わなければいけません。するとすかさず佐七が
やっぱなあ、偉い人のいわはるこたあ、おりぃだちと違うなあ。
やっぱなあ、教養がにじみでとるながい。
Whoom, what such noble people say differ quite from what we the humble say.
Whoom, how deeply cultivated they are !!
とつぶやくでしょう。つまりは、なあんだ実は相手に対する謙譲語がおりぃ、なのです。
逆に言えば、何言ってんですか和製英語しか知らない社長さん、私なんか
英仏独語等々は言うに及ばず、ラテン語もギリシャ語も知ってるんですからね、
という博学な方もありましょう。
とにかく相手を見下さない、対等かあるいは対等以上と思えば、これはもう自分自身を
おりぃ、というしかありません。ですから普段なにげなくおりぃ、を使う飛騨の女性の
なんと奥ゆかしい事でしょう。
母が息子に、おりぃの言う事をようきいどけよ。(= よく聞いておきなさい)、というのは
命令でもなんでもありません。自分が産み育てた息子にすら謙譲の心が
無意識に働くからに違いないと私は思います。でしたっけ、お袋殿。
|