大西佐七のザ・飛騨弁フォーラム 文法

飛騨方言における女子の美称・〜ま

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日本の百名水に、奥飛騨温泉郷・福地温泉のたるま水 があります。 冬は凍りライトアップされるそうですが、2007年は暖冬ですね。 どうでしょうか。 さて上記の別稿に語源は、たるさま、であろうとお書きしましたが、 私は現在それを確信しています。 当初は、いはばしるたるみの姫が訛ってたるみ姫がたるま姫に なったのであろうか、とも思っていましたが、 姫を書くようになったのは、これは明らかに後世の宛て字でしょうね。 事実は、といえば、たる、と呼ばれる美少女がいたのですね。 そしてこの地に行幸されました村上天皇に水を献上した所、天皇の 病が治ったところからたるまの伝説が始まるのです。

もとより地元にいた娘ですから、きこりの娘です。お姫様ではありません。 しかしながら呼び捨てでは伝説になりませんから、敬称・様、 を用い、たる様の水、と言われていたのが、いつの間にか 飛騨方言では、女性の美称に、〜ま、を用いるようになったのです。 長寿たるま水(垂間水)も後世の宛て字である事は書かずもがな。 たるま、の意味が数世紀の間に尊敬の意味が薄れてくるや二重の 敬称で、つまり、たる様姫、と呼ぶようになってしまった というのが真相でしょう。

ところで、たるま水は奥飛騨の伝説ですが、もうひとつ、 飛騨には、ちんまが池の伝説があります。 同語をキーワードに各自、お調べあれ。 場所は日和田高原です。 福地とは随分離れています。 語源は、ちん、という名前の美少女です。 ちん様が、後世に、ちんま、と呼ばれるようになったのです。

勿論、たるま・ちんま、の言葉が生まれたのは村上天皇の時代・ 平安中期ではなく、後世でしょう。 私の大胆な推測は、ずばり、江戸時代です。 江戸時代、飛騨の国において苗字を名乗れた階級は極わずか。 庶民はすべて名前のみで呼び捨てです。各自が苗字を持つようになるのは 明治時代から、突然に名乗れと言われてもさあ困った、 教養のある人物、つまりはお寺の和尚様などにお願いして 皆がいきなり苗字を持つようになったのでした。

つまりは、江戸時代の飛騨方言では、尊敬すべき、愛すべき女性に対しては そのお名前に美称・ま、を用いていたのです。こう考えると、たるま・ちんま、の言葉が 出来たのはいつの時代からかは不明だが遅くとも江戸時代であろう、と考えざるを得ません。 たるまに姫を足したのは明治時代の可能性もあります。

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