私:私は昭和二十八年生まれ、つまりは物心ついた時はラジオしか無く、明治生まれの四人の祖父母の連日の飛騨方言シャワー攻撃で育った人間ですから、あるいは飛騨方言の最後の語り部なんでしょうかねえ。 君:ラジオを聞いて育ったという事は飛騨方言と共通語のバイリンガルだったという事なのよ。 私:そうか、そうだったんだ。実はままごと遊びで東京語ごっこもしていたかも知れないね。 君:ほほほ、飛騨方言の対称代名詞といえば「わり・おみ」。それでも表題の飛騨方言「てまい」を思いだしたのね。 私:そうだ。若し「てめえ」と言えば明らかに江戸方言のまねという感じですね。手前を対称に用いるからにはぞんざいな言い方、蔑称という感じです。きさまら、という意味で飛騨方言では「てまいだち」とも言うでしょう。てまえたち・てめえたち、こうなると私の感覚では飛騨方言らしくありません。江戸方言に聞こえます。 君:てまえ、という言葉が何故、てみ、に音韻変化しなかったのかしら。てみ、と記載された飛騨方言資料はないの? 私:ないと思うね。不思議だよね。つまりは飛騨方言の音韻は
自称:おれ−>おり
対称:われ−>わり
対称:おまえ−>おみ
対称:てまえ−>てまい
となるのかな。 君:ほほほ、連母音融合で「てめ」くらいはひょっとしたら飛騨方言としてはセンスにあっていないかしら。 私:おっ、いい事いうねえ。言われてみれば「てめ」は飛騨方言のセンスに合っている感じがするね。でも「てみ」は明らかに飛騨方言ではないだろうね。 君:ほほほ、ひとつ文法が出来たわよ。飛騨方言の人称代名詞は二拍に収束する。 私:おっ、いい事いうね。今日はなんだか君に教えられてばかりだな。 君:じゃあ折角だから少し活用してみては。 私:うーむ、そうだね。例えば
自称おれのところ−>おらんどこ
対称われのところ−>わりんどこ
対称おまえのところ−>おめんどこ
対称てまえのところ−>てめんどこ
などと言うからねえ。 君:その調子。 私:ははは、調子が出てきた。もっと続けよう。高山くんだりじゃ「おぬし」と言うよね。 君:若い人は言わないけど、古い人は言うわね。これも実は二拍化するのかしら。 私:ははは、その通り。とてもいい感している。益田郡の資料に「おし」というのがあったよ。もっともこの場合は「ぬ」の音の脱落だが、おぬし○●○中高アクセントが、おし●○頭高になったのだろうね。 君:おし○●尾高の可能性はないかしら。 私:ええ、おそらく無いだろうね。日本語アクセントの変化の法則をご参考に。統制的機能、1.語頭隆起の法則 語頭に低の拍が続く場合、最後の低を除き高に変化しようとする。2.山の一元化の法則 一つの型に二つの山かあれば、後の山は消滅しようとする。3.滝消失の法則 語頭の滝、語末の滝は消失しようとする。以上から、おし●○がドンピシャリです。 君:ふーむ、飛騨方言の法則ではないのだから日本語のセンスという事ではないかしら。間違っている可能性、事実と異なる可能性もあるのでは。 私:是非とも「おし」のアクセントを知りたいね。実は、おし○●尾高という事であったらただちに次の屁理屈を考えます。 君:ほほほ、屁理屈ね。私は事実を知るまであなたなんか信じないわ。 |