そういえば、しもやけの事を飛騨方言で"しんばれ"というので一首、詠みました。
元の意味はさて、何なのでしょう。体の芯が腫れるという意味ではないと私は確信します。なにせ体表面の事です。
早速にネット検索ですが、"しばれる"+"方言"で五千件強ヒットしますので(2005.3.28, Google)、"しばれる"の名詞形で"しばれ"
が転じたものであるとまずは推察しました。
ところが"しばれ"+"方言"ではヒットはわずかに四百件(2005.3.28, Google)、
そして"しんばれ"+"方言"では、たったの三件のヒットです(岩手県南部方言、岩手方言、そして当サイト大西辞書、ともに同意)。
さらには別ネット情報(大阪弁普及協会)によりますと、北海道方言"しばれる"は元祖・しんばれの動詞形として派生した new 北海道方言だそうです。
ですから飛騨俚言"しんばれ"は大変、由緒ある、歴史ある郷土が全国に誇れることばのようです。
本家の"しんばれ"から"しばれる"が生まれ、"しばれる"の名詞形"しばれ"が少しは浸透しつつある現在、
本家"しんばれ"は、既に温室育ちの世代に話されなくなりつつあるようです。
さて推察ですが、"しんばれ"は古語にあります、し(凍)む の名詞形・しみ と 腫れ の複合語が音便変化したものでしょう。
どなたかの飛騨人度をチェックするのに"あーれ、こわいさ、しみるなあ" を聞いて、
意味がわかれば、まちがいなく飛騨人度百%ですし、晴れ着にお醤油かなにかが染みて困ったという意味かな、
と思われる方はあきらかに飛騨人度ゼロ%です。
さて,さようならの意味で、"あばよ(男)"、"あばな(女、子供)"も飛騨では日常会話でよく使いますので句に入れてみました。
飛騨方言では、小学生男子は"あばな"ですが、例えば中学生になり少しは大人びた言葉になりたいと思う時、
彼はその日から友に"あばよ"というでしょう。
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