飛騨方言に"はばける"という動詞があります。
これがまた全国各地の方言らしく、ネット検索で相当数ヒットするわけですが、
多くのサイトで紹介されている"はばける"の意味は、口に何かを沢山ほおばって、それが口からはみ出す、
あるいは嘔吐してしまう、むせかえるという事のようです。ところが飛騨方言では決してそのような意味では用いません。
同語は飛騨では、(物を)ちらかす、広げる、展開する、バラバラにする、などの意味の他動詞で用います。
文例を思いつくままに、"(母が子供に)なんや、わりゃ教科書やらノートやら漫画やら、部屋にはばけてまって。
小学生にもなりゃ自分の部屋ぁ自分で整理整頓せんとだしかんぞ。
かあちゃんぁ今日から手伝わんで自分でやってみよ。"、
"(親父が手酌しながら)ダイエーぁ、大阪だけでやっとりゃえがったに、ありゃ店舗はばけすぎたもんで、
結局つぶれてまったながい。栄枯盛衰っていうんやさなあ。"、
などです。
私はネット検索する直前、つまりは数分前まで、"はばける"は飛騨以外の多くの地域で"嘔吐する"の
意味で使用されている事を知りませんでした。さて、やっとこさ俳句の話やさ。動詞"はばける"に対する
"飛騨の清らかな自然が"という主語が省略されています。"ぼた"は土手を意味する方言です。
自然が緑の土手のここかしこに、あたかも蒔絵のごとく、タンポポの花を咲かせていることよ、
そこで友と無邪気に遊ぶという意味で詠んでみたのです。
飛騨の人間が"はばける"を使う時は決して、(自然だって体調の悪い事だってある)
オエッオエッとしながら土手にタンボボを吐き出しちゃった、
という意味で使っているのでは(以下全国"はばける(=嘔吐する)"地方の方言オンパレード)、、
ねえだべさ、ねがべさ、ねっかや、ねっしょ、ねんだって、ないずら、ねえ、ないのです。
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