飛騨方言では夜の事を、ようさり、と言い、昼の事を、ひるまり、と言います。
当サイトでは繰り返し、紹介していますが、原義となる言葉の発音の省略化が方言の形成の原則ともいえますので、
飛騨方言では共通語・昼夜に比し、ひるまり、ようさりと、かなり
冗長な言い回しになっている点がなんともはや、奇妙といえましょう。
ところが実はやはり、そうではないのです。昼まりは実は、昼のまわ(周)り、お昼前後という意味で、これが
省略されて、ひるまり、です。ようさり、は古語辞典にのっている言葉で、あるいは長たらしく"夜さりつかた"、
という言い回しで、夜の頃という意味で使用されていたのですが、飛騨方言では、これがあるいは平安の御世からでしょうか
一切、変化せず、いまだにようさり、です。
私はそれゆえ、飛騨方言に大変な誇りを覚え、愛着せざるを得ません。
共通語が寧ろ、語の徹底的な省略化で、よる、となってしまったのです。軽薄短小そのものです。
句意ですが、私の住む町は都会とはいえ、まだ若干の田んぼがあり、今の時期、夜中にゲコゲコ、うるさいほど
カエルが鳴いています。ああ、なつかしや、故郷の田んぼでも同じく夜中にカエルがうるさく鳴いているでしょう。
夜さりつかた鳴くカエルは昼まりはきっとおやすみに違いありません。
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