なにやらゆかしすみれ草を完全にぱくっています。
貞享2年(1685年) 芭蕉42歳の作だそうです。
飛騨方言では、つめたい、は、つべたい、です。
蒸し暑い夏山を歩いていて、のどがかわく、そして沢の水を手ですくって飲むと、その水の、おお、なんと冷たいことよ、
というまことにダサイ俳句を詠んでしまいました。暑さにうだりながらぼうっと詠むと、こうなってしまうのですね。
せっかくですので、飛騨方言のレッスンを。
つべたい、という形容詞を紹介しましたが、ところで、"さこ"、という名詞をご存知ですか。
飛騨方言では、"さこ"、というのは水の流れていない谷の事です。
そして、沢、ですが、これは水の流れている谷の事で、飛騨方言も共通語も同じ意味です。
また流れている水の量は関係ありません。
勿論、水がごうごうと流れていれば、さすがに沢とはいわず、川というでしょう。
がしかし、さわさわと流れていればこれは川ではなく、完全に沢です。またほんのチョロチョロ流れていても沢です。
更には、わずかにチョロリチョロリと流れていても、常に流れている限りは沢といいます。
そして、とうとう何も水は流れていない谷、つまり枯れた谷になれば、その谷底の線は、"さこ"、というのです。勿論、大雨が降りますと、
"さこ"にはにわかに小川ができます、あるいは小滝ができる事もありましょう。
そして、"さこ"の行き着くところは、山の頂上です。山の頂上は"さこ"と尾根が一点に集中する場所ともいえます。
"さこ"、とは、隣地境界を示す線でもあります。広い山ではお隣さんの山との所有権の取り決めは、尾根ざかい、"さこざかい"、を用いるのです。
子供は山を親と歩き、こうやって小さい時から親に自分の家の山の境界を尾根ざかい、"さこざかい"で教えてもらうのです。
でも、地震があったり、山崩れがあったりで、尾根ざかい、"さこざかい"が不明になるとどうなっちゃうのでしょう。
親は、またよくいいました。
ここ大西村にゃ昔から地震も、山崩れもない。ここぁ日本一住みやすい土地やさ。
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