この句ですが、おりぃも、という部分が飛騨方言で、俺も、という意味です。
私事にはなりますが、小学校の校庭はかろうじて50メートル走が
出来る狭い校庭でした。
ライトの少し後方で校庭に隣接し、佐七伝来の田んぼがありました。
そしてソフトボールで本塁打は場外となり、つまりは校庭から飛び出し、佐七の青田に
吸い込まれてしまい、回収不可能となってしまいます。
いつしか季節は過ぎて秋に我が家の田んぼの稲刈りが終わり刈田となったら
結構な数のボールが見つかるのです。ボールの収穫期です。ボールの所有者は判然としません。
つまりは見つけたひとのもの、つまりはこれらのボールは私のものになるのですが、
私は決して喜べませんでした。
私は小学校のソフトボールで塁に出た事はほんの数回、
数えるほどしかありませんでした。何のことはない、ただマグレで
球が当たっただけの事、勿論、憧れのホームランなど一度も打った事はありません。
句意ですが、他人のホームランボールを拾って何が面白いのでしょう。せめて一度でいい、
ホームランを打ってみたい。そのボールはくれてやるから。
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